制作の記憶
2009年 10月 26日
子供の頃、何を作っていたかを考えると
木とダンボールを使っていたのを思い出す。
父親が大工だったので、家には釘やハンマー、木っ端があったのでそれで遊んでいた。
木に釘を打ちつける楽しさを覚えた。
のこぎりで木を切るのは難しかったので、木に傷をつけて終わっていた。
ダンボール箱を今はない雑貨店に貰いに行き、
内側にメーターやスイッチをマジックペンで書き、中に入って遊んだ。
または、ダンボールをカットし、丸めたりして、鎧を作った。
絵に関しては、あまり自分の記憶はない。
他人の絵を、あー上手いなーと見ていた記憶の方が多い。
(自分の絵はへたくそだというコンプレックスが未だにあるかも。)
小学校低学年のとき、消防車を描いたとき、
タイヤが大きく、細かく描いてあると褒められた。
子どもの座った目線で消防車に近づいて眼の前から描けば、
タイヤが大きく細かくなるのは当然な気もするが、単純に嬉しくて、覚えている。
木の匂いをかいだり、古いハンマーを握った瞬間に
忘れていた制作の記憶が、ふとした瞬間に戻ってくる。
それが制作の原点なのかは分からないし、作品のコンセプトの中心かどうかも微妙だ。
けれど、そういう制作の記憶が、どこかで今の自分を支えている気もする。
同時に、過去がねつ造され、しばられていく可能性も感じている。
木とダンボールを使っていたのを思い出す。
父親が大工だったので、家には釘やハンマー、木っ端があったのでそれで遊んでいた。
木に釘を打ちつける楽しさを覚えた。
のこぎりで木を切るのは難しかったので、木に傷をつけて終わっていた。
ダンボール箱を今はない雑貨店に貰いに行き、
内側にメーターやスイッチをマジックペンで書き、中に入って遊んだ。
または、ダンボールをカットし、丸めたりして、鎧を作った。
絵に関しては、あまり自分の記憶はない。
他人の絵を、あー上手いなーと見ていた記憶の方が多い。
(自分の絵はへたくそだというコンプレックスが未だにあるかも。)
小学校低学年のとき、消防車を描いたとき、
タイヤが大きく、細かく描いてあると褒められた。
子どもの座った目線で消防車に近づいて眼の前から描けば、
タイヤが大きく細かくなるのは当然な気もするが、単純に嬉しくて、覚えている。
木の匂いをかいだり、古いハンマーを握った瞬間に
忘れていた制作の記憶が、ふとした瞬間に戻ってくる。
それが制作の原点なのかは分からないし、作品のコンセプトの中心かどうかも微妙だ。
けれど、そういう制作の記憶が、どこかで今の自分を支えている気もする。
同時に、過去がねつ造され、しばられていく可能性も感じている。
by takuji0808
| 2009-10-26 10:04
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