日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

仮想敵の不在

「仮想敵の不在」

かつてはこの社会には、様々な敵対関係、二極化した、
わかりやすい対立構造がありました。

対西洋、反体制、対アメリカ(資本主義)、対東京…
いま、そのような仮想敵(ラスボス、ジブリでいうとムスカ)は存在しません。

仮想敵の存在は、作品(物語)の強度を補完し、
作家(主人公)のモチベーションを引き上げます。

既存の体制(物語)が崩壊し、新たな価値観を垂れ流されている今、
敵対関係は存在しないどころか、すべてのものが消費されていきます。

かつての仮想敵に匹敵するような、作品の強度を補完し、モチベーションを
保ってくれる新しい存在が必要ではないだろうか、と思います。

それはゆるく言えばルールや縛り、ジャンルのことですし、アーキテクチャ(仕組み)でしょうし、
あるいは消費を取り入れた刹那的な団体戦ですし、あるいはそれ以外のものです。

作品の強度を保つためには様々な縛りを変動させていく(OSをアップデートしていくような)
感覚が必要ではないかと思います。

(そうでないと、精神的に腐っていくような現代のアート病というか
 結局ゴッホやゴーギャンと同じ結末になってしまいそうで怖い。
 ピカソは女をとっかえひっかえでその強度を保っていたような気もする。)

また日常の個人的なリアリティだけを手がかりに、普遍化した作品をつくる方向を試みることで、
社会的に何かを得ることは、諦めなさと奇跡のバランス力が必要だ。

(自分の敵は自分、逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…の限界)

そのような細分化させ、微意の強調にしかならない新たなミニマリズムを開発する、
ある種の「ハンティング」は、そのモンスター(方法論)を捕まえられるかどうかもわかりませんし、
捕まえたとしてもレアなやつかもわからないですし、消費、リサイクルを待つだけの運命です。

一点突破の強度をもつ作品を作るにはモンスターを単純にたまごっち的に育成するのではなく、
捕まえたやつらを交配させるイメージが必要だと思います。これもある種のハイブリッド化だと思います。


まあそんなことを考えながら制作してますーって話でした。
まったくまとまっていませんが、キリがないのでとりあえず終わります。

べつのことを考えだしたらまた書きます。


c0211701_153845.jpg




<追記>

こういうことは制作中や通勤の為に電車に乗っているときに考えることが多いです。
電車という乗り物が時間を感じさせる装置(映像の原点)なので
そういうことを考えるのに適しているんだろうなーとか思います。

あるいは音楽を聞いたりしている状態、手触りを入口に思考している(制作トリップ)状態に、
時間軸を超えるタイムトリップ感(ある種の普遍性)があるのかなーとか思います。

どっかでそれを信じてないとやってけねえ、って思います。
まあ、旅をしたりいろんな方法があるとは思いますが。

ほんとにおしまい
[PR]
by takuji0808 | 2010-06-13 15:03 | つぶやき