日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

ゲーム化する思考/世界

ゲーム化する思考

「ゲーム」という言葉はマジックワードだ。
今後自分の作品にも結構重要な要素として入り込んできそうな
気もするので、文章でまとめておく。

(山本さんの個展の感想の中でさらっと使いすぎて反省したのだ。)

今回は特に、平面作品など生産力の高い美術作品のなかで行われる
ゲーム性について書いていければいいかな、とおもっています。

・・・と思って書き始めたらすごい長さになってしまった。

Moreで開きます↓

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「ゲーム性」という言葉が一番用いられるのは、ファミ通などでのゲーム批評の場である。

「ゲーム性が高い/低い」といった言いまわしでは、その批評対象のゲームは
「ゲームの本質」(構造や核)を考慮しているか、といった程度の
扱いでしかないため、そこでは曖昧に「ゲーム的な要素」といった意味でしかない。

ここで自分が問題にしたいゲーム化、ゲーム性とは、そういうことではない。

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ゲームの世界のように、目の前の出来事の判断するときに
YES/NOの取捨選択しかないなんてことはあり得ないし、
そんな判断一つで人生が決まるわけではない。
もちろん世界がそんなわかりやすい構造で出来ているとは思わない。

けれど、ゲームのように繰り返すこと(リセットすること)が出来たり、
それによって新たな展開を楽しむことが出来るものがあるとしたら、
それはゲーム化していると言い換えてもいいと思う。

あるいは携帯電話やゲーム機、パソコンで情報を集めたり、
感動を得たり、伝えたりできる環境になるこの状況が
リアルなゲームの主人公になっているような感覚となる。

大事なのはこの世界そのものをゲームに例えることではなく、
世界の一部(またはその構造)をゲームのように捉えることを「ゲーム化」といい、
世界とゲームに共通する性質を「ゲーム性」として考えるのだ。

「現実をゲーム化していくこと」自体は、別段珍しいことではない。
物事を理解するときルール設定を行い、視座を定め、
視野を限定することで思考をしやすくすることは皆が自然に行うことだ。

それを単にゲーム化という言葉にしただけだと考えてもらえばいい。

ではなぜそのような思考の整理や、現実の捉え方を「ゲーム」という言葉で
置き換えることが重要なのかというと、現実とゲーム(のようなもの)との境界が
融解している感覚が、ここ最近の自分に実感としてあるからだ。

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携帯電話、携帯ゲーム、パソコンのような、ゲーム的なインターフェイスを
介した身体的感覚が日常になり、人造人間に近付く希望のようなものを感じる。
(それが正しいかはわからないけれど…)

単純に作品に最新のトレンドを取り入れればいいというわけではないけど、
携帯のメールなど、日常のコミュニケーションもゲーム化していく現状は
考えて行かなくてはいけない要素だと思う。

その状況を作品に現代の感覚として組み込む時、ゲーム性という言葉が一番しっくりくる。

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では、ゲーム性の特徴、前提とは何かを考えてみる。
ゲームの広義な意味を考慮し、これは一つの例として考えていきたい。
この前提(ルール)を変えることで、新たなゲーム性も構築できるし、
またこのようなルール設定こそがゲーム性の大きな特徴でもある。

ここでは先日YYさんの個展の感想の中で言った「色彩の選択がゲーム化する」
というような生産性が高くて、ルール設定(表現技法)を限定しやすいもの(平面作品など)
のゲーム性というものに関して追及していきたい。

前提となることとしてあげられるのは

①反復(繰り返し)すること。(リセット可能な、擬似的な現実/世界)

②選択するなかで異なる結果(作品)になること。(一種のマルチエンディング)

③それによって思考はフローチャート化していき、
 さまざまな結末(作品)がストック(コレクション)されていく過程があること。

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作品を作るということは技術的なノウハウを獲得していき、
さらにそれをアップデートしていくことでもある。

同じように、作品を作る過程の中で生まれる感覚(思考)の方法や種類を
ある程度ジャンルに分け、分類したり、ノウハウにしていくことは可能だろう。
(言語のみでそれを行うのはもちろん困難だ。)

無意識の中でチャート(グラフ)になるような制作過程を見るために
ポートフォリオやHPで作品一覧が重要となっていく。
作品を時系列に、フローチャート化して見ることはもちろん可能だろう。

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その過程は作家の日常のゲーム化とも言える。
一種の「アーティスト育成」ゲームのような印象と言えば分りやすいだろうか。

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こういう考え方をすると、仕事論に逃げ込む言い訳のように聞こえたり
方法論にのみ絞って制作をしているように思われるかもしれない。

もちろんこのほかに身体性とか、技術をアップデートするために必要な泥臭い努力とか、
社会的な構造を作品に組み込むことの限界とか、いろいろあるのは当然です。

しかし作品の流れとか構造の強度をどう作っていくかを考えているうちに
そういうことを考えるようになりました。

もう苦しいのでとりあえずおしまい。
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by takuji0808 | 2010-10-04 20:59 | つぶやき