日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

机上のタッチ

普通に生活をしていて、急に昔のことばかりを思い出す時がある。
最近考えていたのは、絵のタッチについて初めて意識したのはいつか、
ということだ。

さかのぼってみると、小学校の机が原体験ではないかと思い立った。

    ■

小学校時代は、美術志望学生の類に漏れずマンガを写すことが大好きな
[ネクラ]だったわけだが、その支持体は様々で、定番の教科書の端から、
マンガ写し用特製ノートまで様々であった。

そのなかでもお気に入りだったのは学校の机だった。
絵を描くという気恥ずかしい行為を「学校のものだから」という大義名分のもと
消し去ることができる机は思春期手前のキャンバスにピッタリだったらしい。

当時一番描いていたのは、ドラゴンボールだった。
特にスーパーサイヤ人孫悟空の髪、そして眼、上半身を
如何にカッコ良く描けるかが重要であった。

いくつか描いていくとわかったことなのだがそれをノートや教科書に描くと、
どうも雰囲気(ニュアンス)が変わることに気付いた。

そこにはシャープペンの細いタッチをどんなに変えても近づけない壁が確かに存在した。

    ■

あるとき、同じようにシャープペンで机に孫悟空の髪を描いたとき、
急にその「壁」がなくなった気がした。

机はツルツルのプラスチック状で木目調の背景なので、細いシャープペン如きの
タッチを跳ね返す。そのため一本の線をハッキリみせるために、何度も描き、
太く、濃くする必要があった。

線の太さを自分で調整することで自分の描きたいものの雰囲気(ニュアンス)に
近づくことができるということはひとつの発見であった。

    ■

結局そのとき描いた孫悟空は、結局髪が上手く出来過ぎて、顔を描き足すことが
できなかったので、「スーパーサイヤ人の髪」というなんとも間抜けな
ディティールのフェチズムしかないものだった。

そのままにしておいた「スーパーサイヤ人の髪」は、いつの間にか擦れて消えかかり
上から何度描き直しても、最初にあった「カッコよさ」を再現することはできなかったため、
泣く泣く消しゴムでとどめを刺した。

    ■

あのとき消した落書きの残像が今も記憶の片隅にあって、そのときの体験は自分が
「絵というもののディティール」=「その先にいるクリエイター」を意識した原風景ではないかと思う。

そしてその内容も、机という支持体も、何か象徴的な意味合いを帯びて
今の自分に影響を与えているようにも思える。

机の表面の消えかけたタッチが記憶の中でだけ色濃く残っていく。

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by takuji0808 | 2010-10-23 12:03 | つぶやき