日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

世界の扉は開け放たれて<ぐらぐら>

私たちの現実世界があって、扉が違う世界に通じている、というのはファンタジーで良くある導入である。それが扉ではなく木の根もとにある穴や絵画、洋服タンス、駅のホーム、トンネル、洞窟…何の形でもいい。違う世界への入り口の象徴として「入り口」は重要なキーワードとなる。アリスしかり、ナルニアしかり、ジブリしかり。

(ちなみにここでいう物語は神話や宗教のなかでの世界観ではなく、オタクやサブカルの中で消費される世界観を軸として考えています。その相違も考察すればきっと面白いだろうけどここでは割愛。)

  ■

「扉をくぐった主人公が冒険し、成長し、何かを達成し、何かを得る。」

非常に古典的な物語の組み立てだ。

  ■

個人的に、扉という設定を最も効果的に作品に取り入れたのは「モンスターズインク」だと思う。それ故に、「主人公が違う世界へと旅立ち、冒険し、成長する物語」には限界が来た、ということも言える。

「異なる世界」(非日常)は「私たちの世界」(日常)のカウンターとして存在していた。そしてその世界に飛び込むためには、扉が必要だった。なぜなら、最後には主人公は「私たちの世界」(日常)に帰ってくるオチが必要だったからだ。

(ドラえもんたちは、大長編の最後では必ずのび太の部屋にどこでもドアで帰還し、ママはそれに気づかない状態で、夕日バックのエンドロールというようなベタなオチが重要だった。)

この日常/非日常の対比によって物語の強度は保たれていた、といえるだろう。主人公が日常に帰還することで非日常が際立ち(現実世界の主人公にその経験がフィードバックされ)、そこにエンターテイメントが生まれる。つまり扉こそ観客が物語に没入するための一種の装置であった。

扉はファンタジーと現実をつなぎとめる楔であり、世界をわかりやすく示す境界線のようなものだったのだ。

  ■

とまあこれが一昔前の「世界」の構造を描くシナリオだったわけだが、現在はどうだろうか。

扉はパソコンや携帯電話のディプレイになり、タッチパネルになり、3Dになっている。我々は扉を通る必要もなく、違う世界へとアクセスできる。

甲殻機動隊やマトリックス、インセプションなどの作品における「世界」の構造は、現実世界に対立するわけではなく、コインの裏表のように、あるいは寄り添うように存在し、そして現実世界との間にある境界線をぼやかしていく。

これは、携帯電話やパソコン、ネットワークなどのデバイスが人間の身体性を拡張して、ネットワークという新しい世界が自分たちの世界に隣接している現実だ。

  ■

さて、ここで考えなくてはいけないのは、東北地方太平洋沖地震で、また現実世界のほうが揺り動かされている「いま」だろう。

911の時も思ったが、あれほどショッキングな映像が流れていながら、どこか「視た事のある」感覚に襲われた。それはアニメや漫画、映画で何度も見た光景だ。

表現するものとして、この問題については、ずっと考えて行かなくてはいけない気がしている。

c0211701_1626890.jpg

[PR]
by takuji0808 | 2011-03-25 21:03 | つぶやき