日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

公募展とリヒターと

まだまとまっていないと思うが、熱が冷めないうちにアップ。

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『芸術勉強会』で「公募展系の作品も、じつは面白いのはたくさんある」という話があった。

もちろん面白いのはあるだろうけど、ルールが異なる「現代アート」と「公募展」を並列に語るのは無理がある。

(「現代アート」のルールで、アウトサイダーアートの目線で「公募展系の作品」を読み解き、キュレートするのは可能だと思うけれど、それだけでしょう)


また別の機会に「公募展や高文連なんてなくなってしまえばいい」という話もあった。

基本的に、それら「公募展」は教育的な目線、学生、教師、絵画教室やカルチャーセンターのようなところに通う人たちの受け皿としてのシステム・役割もあり、同じようにさらに若い世代ではpixivなどのSNSがその役割を担っている、とも言える。

もちろんそんな単純な区切りがあるわけではないけど、そこらへんの事情や歴史は社会構造の話で、いるいらないの話ではないと思っている。

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ただそこで、(どういう意図があっての発言だったかは忘れたが)そういう発言を聞き、
その前にリヒターの話を聞いていたので、びびっとつながったことがある。

リヒタ―の作品の裏にある「歴史という対立構造の変移」が、作品の魅力、重要な要素となっていることを改めて認識できたのだけど、そう考えると、日本はほんとうにアメリカに去勢された文化だったんだな、というのがよくわかる。

前述のような発言は、世代や、ジャンル、中央と地方、対公募展という村社会の中での微異の強調でしか仮想敵を作れなかった、という事実の又聞きでしかない。

そして現在はそれさえも相対化され、更に生ぬるい世界でしか作品を作れない自分への絶望感。

作品の要素にそのような対立構造があったほうが強度があるが、そんな劇的なリアリティもありゃしない。ということはそれ以外の要素を取り入れた、面白いエッジの効いた作品を作らないといけないってことだろうか。

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ということで最近はいろんなことに絶望して、感覚を麻痺させること、
無意識に別のはけ口を見つけることで現実逃避している気もします。
気をつけなきゃ・・・

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by takuji0808 | 2011-06-13 21:22 | つぶやき