日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

仮面ライダーオーズの感想

「仮面ライダーWのハイブリット性」
http://takuji0808.exblog.jp/14540626

「仮面ライダーWとはなんだったのか」
http://takuji0808.exblog.jp/15232658/


<仮面ライダーオーズの感想>

ネタばれあり!!

1、オーズの変身

2、BL要素の必然

3、アンクというキャラクター


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仮面ライダーオーズの感想

1、オーズの変身

平成仮面ライダーシリーズの変身は常に時代のニーズに反応しているのは周知の事実。

顕著なところでは、555の携帯電話ガジェットであり、電王の憑依型変身だ。
つまり身体性とコミュニティ、アイデンティティの問題が変身に込められている。

敵との戦いの中で新たなメダルを獲得し強くなっていくという点においては、初代『仮面ライダー』から続いている「敵の力を利用して敵に立ち向かう」というシリーズの特徴がより前面に押し出され、原典回帰の側面もある。


今回オーズの大きな特徴は3つの身体のパーツごとに入れ替えれることで、126種のフォームチェンジが可能であることだろう。

電王・キバ・Wの焼き直しのようにも見えるが、組み合わせることが前面に出て、「入れ替え可能の身体」というキメラ感が強くなった。(これもある種の原点回帰か)

同種のメダルによる強化コンボよりも、変わった組み合わせによる亜種コンボに妙な魅力を感じることも出来る。タトバコンボと呼ばれる最初の変身するスタイルも、実は亜種コンボである。

つまり仮面ライダーオーズは「コラージュライダー」、あるいはキメこなライダーとも言えるだろう。

より複雑な断片の組み合わせと入れ替え可能な関係がこの社会の、欲望のメタファーなのだとしたら、それに類似する表現(コラージュ)とは、現在ではシミュレーション以上の何か、別の意味合いを帯びている気がする。

日本のヒーロー文化における奇形の系譜、文化のなれの果てとして「オーズという表現」になったという仮定をするならば、その「入れ替えの可能さ」とは、主軸の不在でありフォーマット(構造)しかないコラージュである。

その「何も無さ」こそ現在コラージュ(的表現)のもつ力の一つである気がする。


2、BL要素の必然

・主人公火野 映司とグリードのひとりであるアンクとの奇妙な関係。
・後藤 慎太郎と伊達 明の仮面ライダーバース継承という関係。

そこに、ヒロインである泉 比奈や秘書で上司の里中 エリカは必要なのだろうか?

もちろんいなければ、物語がうまく回らないが、仮面ライダーにおいてヒロインの役割がそのような潤滑油のようなものでしかないのはある種の必然である。(今作では重要な地位を与えられいる方だとは思うが)ヒロインのヒロインたる(恋愛の)役割が与えられない。

ヒロインは、役割としてよくある「助けてもらう弱者」(守る対象から恋愛対象への移行)ではなく、「力を与える」役割だったり「驚く」役割しかもらえない。

それはなぜかを簡単に言うと、「燃えないから」で、日本のヒーローものの伝統という言い方もできるが、少し違う目線で話すと…

仮面ライダーは世界を救うために戦う。その世界は、地球という広い意味合いではない。描かれる世界の終末はあくまで日本で、狭い中での戦いだ。登場人物たちは個人的なトラウマや欲望をぶつけ合い、主人公はただ疑似的な家族を守るために戦うことが、世界を守ることと直結する。

そこに恋愛要素がからむと、その小さなコミュニティが崩壊してしまうのだ。
だからそこで描かれるのは同性同士の関係性であり、疑似的なゆるい家族関係でしかない。

そのような同性同士のコミュニティ(BLや百合の雰囲気)を感じるのは、単純な萌え(婦女子)要素というニーズがあるだけではなく、そういう同性間のコミュニティが鑑賞者の感情移入の源泉となっているからだろう。

そして、通常ヒロインが担う役割を演じているのが、アンクというキャラクターなのだ。


3、アンクというキャラクター

前述の記事にも少し書いたのを下記に引用する。

オーズはどうしても「うしおととら」や「寄生獣」を思い出してしまう。
今のところ説教臭い主人公よりアンクのキャラクターが引き立っている感じがする。
最終的にアンクの目的が何なのか、アンクがどうなるのかが肝になると思う。

基本はメダル争奪戦だけど、グリード(敵)を倒してしまうとセルメダルが手に
入らなくなるっていう戦争(ゲーム)のシステムを示唆しているのは面白い。

その欲望を原動力としたシステムをいかに壊していくか、あるいはズラしていく
かがこれから主人公(あるいはアンク)がしていかなくてはいけないことかも。

2010-10-04 21:01



そして、やはり物語の結末も、「うしおととら」や「寄生獣」における「とら」や「ミギー」のような自己犠牲の、どこか悲しいエンディングとなった。

異形のものとの友情は少年漫画(おもに少年サンデーか…?)では鉄板ストーリーであり、その結末は、ほぼ同じようなものだということを再認識した。こういう展開の決まり事はたくさんありそうだ。


そしてこのオーズという物語は、主人公とアンクの友情、しかもBLに近い愛憎の物語だとおもう。


物語の後半では主人公・火野映司はコアメダルを(ストーリー上は偶然)取り込み、その守るための力を必要とするために、徐々に暴走していく。これはアンクという異形(グリード)に近づくことだ。

これは、異なる世界の住人と結ばれるためには、その世界の住人になるしかない(アンクとわかりあうためには異形化するしかない)という話だ。つまり同性が結ばれるためにはどちらかが越境するしかない、という選択だ。

そして物語では、最後にアンクは自らのメダルを差し出すことで映児の暴走を食い止め、変身し、ラスボスを倒す。映司の人間をやめるという自己犠牲ではなく、アンクの「自らを差し出し変身する」、主人公と一体化することでしか世界を救えない、という話だ。


友情(擬似的な恋愛)の終着点が「変身」するという越境だった、というオチは秀逸だとおもう。

なぜならそれは仮面ライダーにおける目的と手段、結果と過程の逆転なのだ。



とにもかくにも、1年間楽しませてもらったが、だれとくな文章をだらだらと書いたところでいったい何の役に立つんだ!結構時間かかったし…結論も微妙だし…もうねる!
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by takuji0808 | 2011-09-25 23:04 | つぶやき