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日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

500m美術館に関して追記

前回ブログで書いたことがなんだかツイッター上で広がったので、Togetterでまとめたところ、これまた広がって、なんだか話が大きくなっていきました。

みんな言いたいことが溜まってたんですかね。(笑)


たまたま自分であっただけで、作家は作品を出した時点で、(あるいはネットなどで発言した時点で)常に公共とか、不特定多数の目ににさらされているということは当たり前で、自分は自分の出来る範囲でやれることをやるだけです。

自分としては、悪意あるカウンターをくらった感はありますが、まあ、そういうこともあるよなーと思っています。作品がちんけな自分の想定を超えていくのは大歓迎です。もちろん悲しさもありますが。
で、次に作品で消化するのみです。シンプル。


なんだかおおごとになっているような気がしないでも無いですが、以前からこの問題って表沙汰になっていないだけで水面下ではあったわけです。破損だけじゃなく、盗難とかも。(うる覚えだけど、まだレンガに直に貼っていた100人展の作品とかだっけ…?)

で被害者が声上げないのは駄目ですよ。それは作家として云々は関係なく。

例えば、駅に自転車を停めて、その自転車がいたずらにあったり、かごにゴミが投げ入れられたら当然怒る。あるいは駅とか管理する所に言ったりして、被害が多くあれば看板をつけたり、管理の人も注意してみたりして、マナーも少し良くなったりっていう流れがありますよね。そういう流れになっていないこと自体、不健康なことだとおもいます。

で、話が堂々巡りになって「じゃあ出さなければいいじゃん」とか「自己管理しろ」っておかしいですよ。単純に悪いのは自転車を倒した人だし、盗んだ人だし、ゴミを捨てた人ですよ。
なんだろう、その「盗みやすい場所に置いた方が悪い」「あんな所に自転車置き場を作った方が悪い」理論は、って思います。

自転車の例を出したので、ちょっとあれなんですが、ここで難しいのはそういう「公共のマナー」という問題と「美術作品の鑑賞のマナー」、そして「公共と美術」の問題がクロスしていることでしょう。世の中には、モノを平気で傷つけたり、それを楽しんだりするひとがいます。そういう人がいる限り、こちらがどんなことをしても、いつか必ず起こることです。

そのためにも、「自転車に鍵をつける」ように、出品者(あるいは企画者)は最低限のことをするべきです。作品を出させていただいている身だからおおごとにしたくない、もう終わったからいいや、結果泣き寝入り、みたいな作家の不健康さにも問題はある気がします。


自分は敵対関係をつくったり、札幌市や企画者を攻めたり、美術啓蒙活動とか美術至上主義みたいなことをしたい訳ではなく、自転車の例のように、こんなことがありましたよ、みたいなレベルで取り上げられ、その観点をプラスして企画側は最善策を考え、作家はアイデアを出していけばいいんじゃないかと思います。で、ちょっとでもあの場の空気が良くなれば、と思います。ほら、健康的で、建設的でしょ。

パブリックアートが脱美術館という美術館批判を含んでおり、共同体(コミュニティ)の為に制作されたにも関わらず、リチャード・セラの彫刻作品が裁判沙汰になり物議をかもしたように、500m美術館という場所は、脱美術館的なパブリックアート(スペース)であり、コミュニティとの論争は避けて通れない宿命をもっているのだろう。しかしこれは逆に考えれば、コミュニティによって変動する美術館というポジティブな見方も出来るのだから、これを上手く使っていく方法はいくらでもある気がする。
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by takuji0808 | 2012-08-07 01:55 | つぶやき