内から外にあるいはその逆に構築すること・そこにある色彩
2013年 07月 08日
02_内から外にあるいはその逆に構築すること・そこにある色彩
もともとインスタレーションをやり始めたのは、平面作品と同じように空間全体にカラフルなものを並べてみたいという欲求から始まっている。
その「カラフルなもの」を(絵画作品も含め)最初は自分で作ったりもしていたのだが、徐々に素材が統一されていき、現在の既製のプラスチックのみになった。
きっかけとして、海で拾ったプラスチックのゴミのみで構築したインスタレーション(というより立体?)作品があったのだが、東日本大震災が起こり、作品の意図が自分の考えた意図とは違う方向にスライドしてしまい、同じ方法で作ることが出来なくなった。そのため、身近なものをかき集めて、徐々にモノを増やして行く方法をとることにした。
「ドリフトシティ」 2008年
漂流した素材に対して、地道な構築する作業でどう異化するかという単純な方法は、コラージュをすることと良く似ていた。同じようにプラスチックで構築する作品も、積み重ねていくことで出来る層が擬似的な自分史になる感覚があって、それは表現としての云々というより自分の中の衝動に近い。
「身近な素材を淡々と重ねていくこと」
「その組み合わせで見えてくる自分(とその周り)」
そのプロセスを踏む中で、ポップでカラフルな色彩になるのは、もうこれは癖(へき)というしか無い。絵の中でその人特有の色があるように、自分の持っている色のチョイス(=美意識)がそういう色しか選べないような感覚を持っているというのだろうか。
少し話は変わりますが自分は混色が苦手です。絵の具の色の名前も良く覚えていません。
絵の具を混ぜる行為自体は好きなんですが、それを色として使いこなす、絵の具に感情を乗せるという感覚はあまりありません。だから絵画作品を作るときはモチーフ(画題)自体が感傷的になるのではないかと思っています。
内的な衝動に忠実に制作することで、外部性を獲得することが一番理想ではありますが、しかしそれだけではいま、ここで、作品として成り立たない。様々な葛藤、あるいは現在の状況・さまざまな環境と向き合うことを含めて、バランスをとりつつ制作をしていくことは結構大切だと思う。そして今回、札幌駅で展示をするに当たって、「街」というテーマ(外装)を纏うことでキャッチーさ・わかりやすさを強調することにした。
<続く>
もともとインスタレーションをやり始めたのは、平面作品と同じように空間全体にカラフルなものを並べてみたいという欲求から始まっている。
その「カラフルなもの」を(絵画作品も含め)最初は自分で作ったりもしていたのだが、徐々に素材が統一されていき、現在の既製のプラスチックのみになった。
きっかけとして、海で拾ったプラスチックのゴミのみで構築したインスタレーション(というより立体?)作品があったのだが、東日本大震災が起こり、作品の意図が自分の考えた意図とは違う方向にスライドしてしまい、同じ方法で作ることが出来なくなった。そのため、身近なものをかき集めて、徐々にモノを増やして行く方法をとることにした。
「ドリフトシティ」 2008年
漂流した素材に対して、地道な構築する作業でどう異化するかという単純な方法は、コラージュをすることと良く似ていた。同じようにプラスチックで構築する作品も、積み重ねていくことで出来る層が擬似的な自分史になる感覚があって、それは表現としての云々というより自分の中の衝動に近い。
「身近な素材を淡々と重ねていくこと」
「その組み合わせで見えてくる自分(とその周り)」
そのプロセスを踏む中で、ポップでカラフルな色彩になるのは、もうこれは癖(へき)というしか無い。絵の中でその人特有の色があるように、自分の持っている色のチョイス(=美意識)がそういう色しか選べないような感覚を持っているというのだろうか。
少し話は変わりますが自分は混色が苦手です。絵の具の色の名前も良く覚えていません。
絵の具を混ぜる行為自体は好きなんですが、それを色として使いこなす、絵の具に感情を乗せるという感覚はあまりありません。だから絵画作品を作るときはモチーフ(画題)自体が感傷的になるのではないかと思っています。
内的な衝動に忠実に制作することで、外部性を獲得することが一番理想ではありますが、しかしそれだけではいま、ここで、作品として成り立たない。様々な葛藤、あるいは現在の状況・さまざまな環境と向き合うことを含めて、バランスをとりつつ制作をしていくことは結構大切だと思う。そして今回、札幌駅で展示をするに当たって、「街」というテーマ(外装)を纏うことでキャッチーさ・わかりやすさを強調することにした。
<続く>
by takuji0808
| 2013-07-08 09:20
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