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日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

カテゴリ:作品解説2010( 20 )

<20>終わりが始まり

テンポラリーで個展をやるとなると、
中森さんが自分の作品をどう読み取るのかが
結構気になるところで、それをズバッと言われると
ああ、やっぱりやってよかったなーなんて思う。

どう作品が読み解かれるのかが自分の考えと違っていたり
自分なりの新しい作品の見方ができるようになったり
何が足りないのかが明瞭になったり・・・

まだまだ勉強不足だし、世界(外側)との付き合い方も見方にもエッジが足りないし
作品化する技術も足りないってことがよくわかりました。

今後どういう風に展開していけばいいのかをじっくり考えて、
また誠実に制作をしていくだけですので

とりあえずおしまい。
(休ませて~)

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by takuji0808 | 2010-09-12 08:44 | 作品解説2010
「思考と展示の仕方」

このブログを定期的に読んでくれる人は分かると思うんですが、
自分が文章を書くと非常に散文的になってしまうというか、
断片的な思考や言葉がとっ散らかった状態のままアウトプットするという
(悪しき)癖があるようです。

これは、自分が何か物事を考え、言葉になり、自分の中で意味を持ったあと、
それを断片のままメモする癖があって、携帯電話のメモ機能でよくそんなことを
しているのですが、それが関係しているような気もします。
(単純に性格の問題かもしれませんが。)

本来なら文章にする際に、そういう考えを上手く数珠つなぎにしたり、
関係性を持つ事柄をマッピングしたり、整理するのだと思います。

しかし、自分はその断片的な思考を断片的なまま並べてしまうので
結局よくわからない状況になっていることがしょっちゅうなんですが、
ここで言いたかったのは、2階のコラージュ作品にも
そんな自分の思考方法が表出しているような気がしたということです。

本来ならばそういう過程は作品の裏側に隠して見せないものですが、
その過程には思考が運動して、つながっていくダイナミズムのようなものがあって
それが場所性や下の作品と勝手に結びついたという感じがします。

世の中の仕組みや物事の構造、関係性というのは基本的に同じ構造になるのではないか、
と最近思っていて、その断片を断片のまま出していった結果、その構造が社会性と結び付くのなら
よりリアリティのある表現になるのかなーなんて思います。

そのためにはもっと研ぎ澄まさないといけないものがたくさんあることを発見したし
その先の未来を提示することが出来たらもっといいので、
今後はそのあたりエッジを利かせた表現になれば、と思います。

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-11 09:58 | 作品解説2010
「展示をして④」

作品が縦軸に並ぶことで2層構造になり対立、比較として、
魅せ方として面白いものが出来たなあと思います。

2階が個人的なもので、日常をベースとしていて、
1階はそれを抽出して、ミニマムにしていった結果とも言えますが、
じつはどちらも個展が決まる前から手掛けていた作品で、
どっちも日常っちゃ日常なわけで、それが最初にあったということは言っておきます。

1階も2階も、手札(カード)は持っていたので、
あとはそれをどう配置するかという感じで準備をしていた感じもあります。

問題は、1階と2階ではカードの使い方がまるで違うということで
慣れがないので苦労した感じ、予想しきれない部分を作ったことも
いい方向に動いてくれて、また色々展開できるカードを手に入れることが出来た。

それをどうわかりやすく展開させていくかを考えると、ワクワクもしますし、
勉強しなきゃいけないこともたくさんあって、さあどうしようか、という
率直な感想しか出てきません。

なんというか1階2階はスイングフォームが違う感じがします。
2階ではその素振りの過程もすべて見せています。

スイングフォームというのは、制作過程の中で、その人が必要とする方法、
制作の柱となるような部分とも言い換えられると思います。
作品を読み解くには(わかりやすくするためには)必須であると思いますし、
作品の強度につながる部分でもあると思います。

2階の作品も1階の作品のように研ぎ澄まされていくとは思いますが、
その過程、方法論は同じものになる必要はないと思っていて、
むしろ自己否定しながら展開していけばいいかなーなんて考えています。

共通するテーマも見つけたので、そこを伸ばしていければなあ、と思います。

惰性のなかで作品を作っている気はないけど、同じことを繰り返すことも
違う展開を試み続けることもバランスよくやりたい感じがある。

もっと勉強しなきゃいけないし、ただ勉強したことを二番煎じのように
作品に反映させてしまうのもどうかなーなんて思うこともあります。

誠実に作るだけでなく、盲目的にならないように、
あと一歩、もう一歩ができる可能性を感じれたので、
あとはそこに向かって進むだけです。

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-10 09:36 | 作品解説2010
「展示をして③」

2階コラージュを改めて見て思うのは、
引きこもり感、あるいは閉そく感もあるのにどこかあっけらかんともしていること。
これはなんなんだろうか。

ペラペラ感、あるいはペタペタ絵の具を塗った感じ。


単純に展示空間の性質や、空間に対しての介入方法にも原因があるとおもうけど、
それ以外にも何か原因があるなあ、と思う。
以前「モダン」といったが、アメリカっぽいとも感じる。

画像に対する考え方自体アメリカ的だし、
画像の歴史がアメリカを中心とした大量生産に対する意識だし、
パソコン社会の起源となっているものだし、
そんなアメリカ的な世界に生まれたことが無意識にでているのかも。
(もちろん色やイメージの内容によるところが大きいのだろうけど。)

まあ今もその時代と同じ役割が機能しているかどうかは疑問だが
コラージュの発祥もアメリカへの対抗意識だもんなあ…

しかし、自分の作品は中途半端なコラージュ観でもあるなあ。
今までのコラージュ観に時代性をプラスしてアップデートしていかなければ
いけないのはわかっているんだが、上手く作品に結びついてくれない感じ。

自分が考えているリアリティってなんだろう?
引きこもっていてもネットさえあればどこかで世界とつながっていけるような感じ?
衝動もあるし理性もある。苦しみも楽しさもある。複雑な感情も単純な思考もある。
仮想敵になるものはいるが画面上の中でしか確認できない

ごちゃごちゃした自分の前のめり感はあるかな、一応ポジティブな感じ。
これをしなきゃいけなかった勢いというか、やってやった感というか。

画像の選び方は1階に比べたらずっとずっと適当なのに、
その雑多とした感じに個人的リアリティがあるような気がする。

構造とか構築とか考えつつも、実際に作ったら閉塞的で矛盾があって
よくわからないのが自分のリアリティなのだけど。

だから自分の作品がよくわからないのは自分に原因があるのではなく、
社会そのものがわからないということが大きなポイントだと思う。

それってどうなんだろう、リアルではあるけど、
どうすればいいんだろう、やるしかないけど。

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-09 09:45 | 作品解説2010
<16>「展示をして②」

改めて見ると、自分の作風はやっぱりモダンなのかなーとか思う。
別に新しい方法をとっているわけではないし、色や形もどっかで
見たことあるようなものを繰り返しているだけだし。

でも基本的に、アートはもう引用や組み合わせ、パクリをごちゃ混ぜにして
物量や時間による圧力で考えていくしかないと思っていて…

それを繰り返していくうちにオリジナリティとか、社会的な問題とかは
あとからついてくるかな―、なんてこの考え自体もモダンなのかな。

引用が自分の中で強い意味を持っているけど、それってウォーホルなんかの
ポップアートやポルケ、大竹伸朗の流れと言われればそうなんだよなあ。

流れであってもその先をイメージしないと届かなそう。

引用に対する意識ももっと作品にあらわれるといいのかな。
パクリのパクリのパクリが奇妙な変化をして熱や圧力を持つことの可能性とか、
ほかのジャンルや思想もどんどんパクって過剰なものにしていくとか…


村上隆が「技術不足の自己満足なんて誰も見たくない」って言っていた。
(あくまで現在流行っている安易な内的アートに対しての批判としての発言。
 乱暴に言うと、みんな奈良美智に憧れてのことだと思うけど。)

じゃあその「技術不足」っていうのは何だろうか。
自分に必要な、不足している部分っていうのは何だろうか。

作品制作のスキルや、展示のスキルなんて言葉でもなく、
人間としての強さとかそういう単純なことでもない気がする。

時間かけなきゃいけないことは当然時間をかけてやるんだけど、
近道はないけど最短距離はあるだろうし、
そういう上手い流れを作って、引き寄せる力とか、
まあほんとに色々あるよなあ…

しかし、展示をすることで色々すっきりしたし、ひとつの区切りが付いて、
また新たにレベルの高いもの、変わらないものを作れそう。

それを繰り返して、繰り返して、練り込んで、練り込んで、
自分にしか届かない作品ができたらいいなあ、なんて考えている。

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-08 06:41 | 作品解説2010
「展示をして①」

展示をして改めて感じたことをまとめていこう。

まず最初は、1階2階で別人のような不思議な展示が出来上がった。
2人展のように感じるほどであったが3日間搬入に費やし展示を弄くることで、
1階2階が徐々につながる感じがあり、それは不思議な体験だった。

公と私、という言葉で比較することを最初に思う。

1階は公(パブリック)な作品、2階は私(プライベート)、あるいは個。
しかし制作方法もアプローチも着地点も展示のプロセスも、
共通点や違いがたくさんあるが、まとめて自分の作品という
リアルなものが出来上がったという感覚だ。

しかし比較があると、非常に読み解きやすくなったとおもう。
コラージュをどう自分の中でとらえるかを消化しきれなかったのが
結構はっきりしたし、イメージの扱い方の基本スタンスや、
それをまたこれからどう深めていくかのヒントになる気がする。

空間の魅せ方、作品の魅せ方も難しいなあ。
場数をこなしせば上手くなるとはおもうけど、どこかで手詰まりになる気もする。

単純なテクニックだけでなく、展示方法にも思想があって
その部分をよく考えないといけないってことを改めて思う。

今回の展示はとても構造的にシャープなものになった。
型とか区分けをして当てはめておきつつ、全部決めずに遊びの部分も
設けておいて、ガシガシ構築していくのが好きなんだろうなあ。

あと、展示における無意識で行なわれる身体的な部分は
結構信頼できるなーと改めて思う。

もちろん、空間の完成度を上げるためにはいろんな感覚を行ったり来たりしないと
上手いこといかないのは分かっているのだけど、そういう理論的な思考を超えて
無意識のうちに行なった部分が後に効いてくることもあるというか。

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-07 07:48 | 作品解説2010
「何を表現したいか、の複雑さ」

何を表現したいかに話をもどそう。

社会の縮図、あるいはそのクローズアップ、歴史の断面図、
さまざまなメタファー、リアリティ…

等価性、情報の性質、画像のこと、公と個、色彩の暴力性、構築性、
喪失、移ろいやすさ、危うさ、表面、フラットさ…

小さなリアリティから大きな共通の感覚、世の中の仕組み、
経験から蓄積された思考、哲学、そのプロセス…

そういうものが極私的に、自分の内部に圧縮されて、
漠然とした意識が作品に収束されていき、そこで整理し、
そこからまた意識が立ち上がっていく過程。

日常的をベースに作品を作る実験を繰り返すことで見えてくるものを
さらに練り上げて、発酵させていく過程。

プロセスが結果となり、結果はプロセスになる。
単独も複数もなくなり、作品も等価に扱われ、失われていく。

そういうこと全部がまた作品の裏側にネットリ貼りついて、
また軽やかに、ラディカルに、貼り重ねられ、積み上げられていく。

プロセスが貼りつき、積まれ、構築していくことで
暴力的に空間を圧迫させていく。

構造を多層化し、アートの構造を内部から変革させていく。

こう書くと、自分がやっていることは単純に
作品による自己開発実験のような気もしてきた。

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-06 09:47 | 作品解説2010
「自己満足で現実逃避こそ美術の本質か」

一方で、全部「自分」で話を収束できないのが美術の魅力だとも思います。

自分が死んだら関係ないことのほうが本当はいっぱいあるわけです。
(だからこそやるという言い方もできます。自分の生きた証、というような。)

「自分の世界」が時間を超えていく可能性があるというのは
ものすごいロマンチックで素敵だなーとも思います。

(そしてそうなる可能性はものすごく低くて、
 大きなアートの流れの芥子粒のような存在なのかなーなんて絶望したり…

 ただし、そういう大きな人間の流れとか歴史とかがつながっているのは
 名もなき多くの人間のおかげだとも思っているわけで…

 壮大なことを考えすぎて何が言いたいかよくわからなくなってきた。)


作品(思想)が後世に影響を残したり、歴史の判断材料足りえる可能性を残すため。

そのためにやっているというのは言い過ぎかなあ。

そう考えれば、自分のやるべきことを一歩ずつ実現させていこうと
すこしモチベーションが上がるかもしれない。

(壮大なことを考えて現実逃避していると言えなくもないけど)

…なんかすごい根源的なことを掘り下げている気がするけど、
実際こういう話を誰かとしても「頑張るしかないよね」みたいな
話になって終わってしまうから絶対しないんだけど。

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-05 09:29 | 作品解説2010
<12>「作品の説明の難しさとその先」

ツイッターで自分の展示を説明する際
「色彩とイメージを構築する」と短くまとめてみたが、
字数制限があり実はもうちょい長くしたかった。

正確には

「カラフルな色彩の平面作品と、イメージをコラージュで構築する展示」

です。

まあ、短い文章での展示の説明としてはこんなもんでしょうが、
これってあくまで手段(方法)を言っているだけです。


もちろんこの時点で目的(表現の意味)が言葉にできるようであれば
アート以外のより良い方法をとるとおもいますし、
ネタばれ的な言い方にならないように気をつけないといけないし、
興味をひくような書き方にもしないといけないし、そこら辺は結構悩んでいます。

ブログで書ける程度のことは別に垂れ流しても
平気なんでつらつら書けます。
あとで矛盾や言い訳をみつけてがっくりするのはしょっちゅうです。

あらためて考えるのは単純な方法論だけではないです。
手段(方法)があれば目的があるはずです。
その手段(方法)によって何を表現したいのか、という部分です。

「あなたはなぜこの作品を作ったのですか?」という部分。

表現方法については結構書いてきた気がしますが、
それで何を表現したいかという話は全然していないような気もします。

正直言うと、これって表現の根幹なのになかなか話せない部分だとも思うんです。
(ここの部分について深く他人と話した記憶はない気がします。
 それ以外の、表現方法についてなどはたくさんあるのに。)

言葉にできない物事も多いし、本人も無意識でやっている場合もあるし、
広いし、その時々の状況によって問題意識も移り変わります。

しかし譲れない目的、こうなったらいいなという希望が必ずあるはずです。

「社会の鏡のような、この今自分がいるリアリティを映し出したい」
「共感してもらったり、ハッとしてもらいたい」
「社会がアートで変わっていってほしい、そういう作品を作りたい」
「社会が変わることで自分も幸せになれる」
「社会に影響を与えるために、自分の作品のレベルも地位も上がればうれしい」
「自分が楽しむため」
 …

大小さまざまな目的がありますが、その先にあるのは何なのだろうかなーと思います。
(基本的に「自分」だとは思うけど。)

社会、環境を良くしようというのも自分のため、他人を楽しませようというのも自分のため、
自分が幸せになるためとどこかで割り切ってしまえば、ずいぶん楽です。

(これってすごく大切なことのはずなのに偽善的にエコとか騒いでいるのを見ると
 バッカジャネイノー と思う。)
(ついでに言うと出る杭を打つ悪者探しの社会の傾向をなんとかしてほしい。)

作品の細部や構造とかにこだわっていくことでみえてくるもの、
それをいじる快感が楽しいのかなあ、単純に。

なんだか難しいことになってきたなあ。
こんなことを書く気は全然なかったのに。

あとは、自分の考え方にいろんな矛盾があって、
それは結構人間的に仕方ないような部分もあって、
それをどう扱っていくのかが今後の課題なような気もする。

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-03 21:34 | 作品解説2010
「コラージュ」の展示

最初に、支持体に貼らないで作ることを設定した時点で
作品が増殖していくイメージがすでにあった。

増殖することで画像の意味が無くなって、ちいさな構図の問題が無くなって
そのうち空間に対しての問題も無くなってしまうのだろうか。

(無くなるというより、自分の問題意識が変化しているともいえるが。)


よくわからないものが展示の後で立ち上がってきてほしいとは思っていた。
手段はあるけど、目的は展示でしか見えないものもある。

それとは別に作品に対しての責任感とかはちゃんとあるつもりだけど
全部想定内のことをしていたって楽しくないので、
展示でそういう責任と意図をしっかり作って風呂敷を畳んでいければいいかなー
なんて考えていた。

わざと自由度をもたせていて、感覚的な部分、身体的な部分と
きっちり決めておく部分のバランスを意識していた。

空間に対してどう向かうかは時間がかかる作業なので
今回は展示作業に多めに時間をとりました。3日かかった。

こればっかりは経験と勘なのかなあ。
展示のうまい人、展示のセンスって自分ではよくわからないからなあ。

展示って本当に疲れる、肉体的にも精神的にも。

以前搬出の梱包中に背中の筋肉を痛めたことがあるので(泣)
皆さんも気を付けてくださいね。

搬出したくねー(笑)

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-03 09:45 | 作品解説2010