日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

カテゴリ:作品解説2010( 20 )

「コラージュ」の思い出

自分がコラージュを意識しだしたのはいつだろうか。
おそらく、大学3年生のときのドローイング1日10枚の修行中に、
そのへんにあった紙やガムテープを貼り出した辺りだろうか。

考えてみれば今の自分の制作のソースはほとんどその時期の
ドローイングに見つかる。

卒業制作も直前に「大竹伸朗 全景」を見たせいで下地に紙を貼りまくっていたし、
それを引きずってしばらく下地にコラージュはずっとやっていた。

ただ、その方法だと「支持体+下地=画面の強化」の意味しかなかった。
コラージュそのものを作品にすることはやっていたが、
それはあくまで、絵の具を紙に置き換えただけのコラージュ絵画であった。

自分がコラージュの作品で思い出す作家は、マチス、ラウシェンバーグ、大竹伸朗とかかな。
絵の具を併用している場合は、コンセプトが微妙に変わるから、分類が難しいけど。

というか、多作な作家は大体コラージュをやっているなあ。

表現が広域過ぎて何とも分類しにくく、
少し古臭い感じもあるのがコラージュそのもののイメージなんだろうな。

また、衝動的な制作欲を手っ取り早く具現化できるのは、ドローイングに近い。

そういうことを踏まえて、展開させていく可能性を探りだしている感じだ。
画像そのものや、組み合わせ方に意味をつける比喩的な表現でもなく、
衝動的に、身体表現を空間にリンクさせていくだけでもなく、
あるいはそれらすべてが統合し、ごちゃごちゃのごみになっていくような…

うーん。

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-02 09:50 | 作品解説2010
「コラージュ」ってなんだろう?②

今回コラージュすることで感じたのは虚無感だった。

意味がない感じ、やってもやっても埋まらない焦燥感。

構図や、時代性、社会性、隠喩、マテリアルなど、コラージュを読み解くキーワードは
たくさんあると思うが、それは「コラージュ」というカテゴリのシステムのようなものだ。

コラージュという方法を選んでいる時点で、すでにそれらの要素が当然のようにあって、
どんなにコラージュで新しい表現をしようとしても、
それはパソコンのお絵かきソフトで絵を描いているような感覚だ。

しかしこの枠を自覚したうえで、2重構造にできないものか、と思う。

無意味さを意味にすること。
メタコラージュ化すること。
どうしようもないことを「どうしようもないんだ」と言うこと。
構造的にすること。
うまく言葉にできない衝動を視覚化すること。

まだそこまで行っておらず、素振りのような状態だったので、
これからどう展開させていくかが肝だと思う。


今回のコラージュは、じゃあ単純に支持体を使わないで作品化すれば、
コラージュ性が強くて、表面的なイメージしかないペラペラ作品に
なるんじゃないか、と思って制作してみた。

同時進行でコラージュ絵画な支持体(絵画)を意識した作品も作ってみたが、
最近はパソコンでやったほうが早いから、なんとなくそれっぽい、
どっかで見たことある作品しかできなかった。


好きな紙はある程度キープしといて、また違うコンセプトでコラージュを作るのも
同時進行でやろうと思っているけど、これはある程度材料が集まらないと
制作が進まないのと、気持ちが動かないので保留中です。

集めることや組み合わせること、貼ることは、描くことと同じくらい
原始的な制作衝動なのに、技術が必要ないので軽視されている気がする。

描くことは達成感があるので、描き終わったとき「自分頑張った感」があるけど
コラージュは達成感より悩み続ける感じがある。

絵画など、ほかの作品は、作風を展開していく(進化させていく)ような
楽しみがあるけど、コラージュはどこまでいってもコラージュだからかな。

もちろん大きさの問題もあると思います。
大きいと飽きるし、もともとの紙やイメージ自体の大きさに限界があるので、
小さめのサイズだとこちゃこちゃ作れて楽しいです。

つづく

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by takuji0808 | 2010-09-01 07:48 | 作品解説2010
「コラージュ」ってなんだろう?

今回新たに挑戦したコラージュ作品は、いろいろギリギリの作品になった。

すごく読み解きづらい作品で、どう考えればいいのか、自分でもよくわからなかった。

もっとコンセプトを絞って、読み解きやすい作品にまとめ上げることが
できるかもしれないけれど、コラージュは基本的に材料となる紙ありきだから
うまく作業が進まないという欠点があるんだよなー。(いいわけ臭いけど)

コラージュという制作方法自体がこれまたフォーマットがしっかりしたジャンルなので
更によくわからない状態になった原因でもある気がする。

コラージュというのは表面的に意味ありげな要素がいっぱいあるので、
鑑賞者は(そして制作する者も)、表面の奥にある意味を求めてしまうが、
実際コラージュ作品の本質はその表面的な部分のみだとおもう。

絵画のフェチズムが筆跡と絵の具の色彩、透明感にあるなら
コラージュは印刷と不透明のレイヤー、慨視感にあるんだろうな。

イメージ、画像、紙のペラペラ感はコラージュにとって大切な要素だと思う。

特に「ペラペラ感」は、今回はすごく意識した
その「ペラペラ感」ってのがうまく言葉にできない要素だ。

まあどちらも表面何ミリの表面性の話になるので、
やっぱり絵画の呪い(絵画ありきの世界)があると思う。

コラージュは既製のイメージを用いるので、
そのイメージに作品が引っ張られやすくて、それに最後まで苦労した。

つづく

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by takuji0808 | 2010-08-31 07:45 | 作品解説2010
「失われたタブロー」まとめ

圧力をかけていくというのは、空間に対してでだけでなく、
仕事の想いの話でもある。

型を作って淡々とやるのは、自分のやりたいことをシンプルに
研ぎ澄ませていって、効率よく作業できるようにした結果であり、
根底には制作欲や表現欲、認められたい気持ち、もっとシンプルな衝動が
ぐつぐつと湧き上がっていることも言っておかなくてはいけない。

そういう毎日の「コンチクショー」「でもやらなきゃ」の
積み重ねでしか生まれないものを信じていることも含めて
型を作って作品の表現方法が決まっていった感覚があるのだ。

そういう個人的感覚と、社会的に認められたいという俗っぽいな感覚が
混じり混ざって今の形に落ち着いたという言い方もできる。

理想としては、2年前に描いた「失われたタブロー」も
これから5年後に描く「失われたタブロー」も同じ価値で
一斉に並べることが出来て、
それを何十何百メートルの壁一面に敷き詰めて、おお、と思いたい。

根本的にあるのはそういう欲望なのかもしれないなあ。

興味ある画像が無くなったら終わらせたい。
いつ終わるか、わからないけど。


わかりやすく構造や方法論を解体して書いてみたけど
最近すこし形式的、様式的になりすぎている気もする。

遊びがないというか、半分自分を甘やかして方法論に逃げているというか、
制作の苦しみがなくて、惰性的な作業に逃げているような感じというか。

もちろん形式的にして、繰り返して繰り返して物量でみせる力技を目指しているし、
かつ職人的に謎の力量を持つ可能性を考えたりもしているのだけど。

画家的な目線やフィルターを持っていたなら、結構簡単に解決するんだけどな。
なるべくあるがままに画像を右から左に流して、積み上げていく行為に快感と
可能性を感じている部分があって、そこらへんの欲と制作のバランスが難しいなあ。

これはこれで進めて、別の仕事でバランスをとっていくしかないかもしれないので
やはり他の仕事と同時進行で制作を進めるのが一番なんだろうな。

つづく

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by takuji0808 | 2010-08-30 09:46 | 作品解説2010
「失われたタブロー」の展示

いっぱい並べる展示について書きます。

イメージを繰り返し描いていることで
増殖性、コレクション性が強い意味を持つようになっていった。

もともと、ドローイングをファイリングしたり、
制作資料を集め、同じくファイリングしているので
展示にその考えを結びつけるのは必然だった。

並べて展示することで、より一つ一つのイメージの意味が
違うものへと変容していくのがすごくしっくりきた。

一つ一つのイメージが組み合わさって、影響し合って、
平面作品が違うものになっていくような…

(集合知とか、ネット社会とか、消費社会のネタファーを意識しているのかなあ…
 社会の縮図を個人で再現しようとしているというか…)

画像(イメージ)との距離感をとって制作して、かつそれを並べることで
よくわからないものにしていく感覚…

このよくわからなくしていくのが社会のメタファーなら
自分の作品がよくわからないのは社会のせいだ!といっておこう。

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<参考>「コンストラクションイメージ」2008

あと、同時期に行っていたインスタレーションの影響もある。

空間に対しての色の暴力性とか、圧力をどうかけるか、とか
型を最初に決めてそれを繰り返すことで魅せる展示ができるか、とか。

そういう空間やイメージに対しての感覚も、
今回試みる2階の展示にも共通していると思う。

つづく
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by takuji0808 | 2010-08-29 09:32 | 作品解説2010
「失われたタブロー」のフェチズム


ここらへんは気をつけているという部分についての話をします。

●色のバランス、形のバランス
・1枚の絵の中の構図、レイアウト、色の量はもちろんだが、
 何枚か描くなかで同じ色使いばかりになっても
 展示をしたときバランスが悪くなるので、
 何枚かの制作の流れの中での「色のバランス」も気遣っている。

・いちばん手前に描くイメージの描く量(面が多いか、線や点が多いか)
 によって色を決定する場合がある。


●画像のバランス
・描いてみないとわからない部分が多くて、まだ研究中。
 
「描きこめる部分」と「描きこまない部分」と「描かない」メリハリが難しい。
描けばよくなるわけではないし、研磨の具合でまた変化するし…

●レイヤー具合
・重なったときの面白さ、味がうまく出るように研磨する。
 偶然を必然にする技術は楽しい。自分の考えてもいない効果がでる場合もある。



画像や色のどちらも強すぎる場合は、画像を写すときに力の入れ具合を調整したり、
多めに研磨して画像イメージを薄くして調整することもある。

並べるときの配置を考慮すれば気にならない場合もある。


最近はパソコン上でデータを作るので、その時に色を変えて様子を見たりする。

今まで描いた経験値で1枚の画像を用いる場合も、
1枚の画面に多数の画像を入れる場合も、制作前に大体の雰囲気がわかるようになった。

でも実際描いてみないとわからない部分のほうが多くてやっぱり難しい。

つづく

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by takuji0808 | 2010-08-28 09:35 | 作品解説2010
「失われたタブロー」なぜ原色を使うのか。

●コンセプト

色は、必ず褪せる。
だからこそ持つ暴力性を表現したい。


●個人的感覚

混色が苦手なんです、基本的に!

油絵をやっている人に比べたら色に対する執着は少ないと思います。
画面全体の色のバランスはもちろん大事にしていますが、
たぶんこれはデザイン的な、レイアウトの感覚のほうだと思う。

予備校時代に油絵もやったし、楽しかったけど、大学に入ってから
急に性に合わなくなった。それまで、ものすごく渋い絵を描いていた。

一色一色の絵の具に対するフェチズムや、透明な色の扱いずらさに対して
コンプレックスがある気がする。

絵の具の名前とか覚えられないしなあ。


黄色の下地は、原色メインの絵に対して発色のよさと
バランスのとりやすさ、ビジュアルの作りやすさが魅力です。

あとあんまり黄色をメインに使った絵を描いている人が周りにいなかったから、
個性になるんじゃないかと不遜にも思った。

最近パソコン上で似たような感覚で構成しているのは
ドローイング的で性に合ってる。

しかし、飽きっぽいくせに地道にやるのも好きで、
色にこだわっているくせにフェチズムはないとか言ってたら
単に天の邪鬼なだけかもしれないなあ。

つづく

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by takuji0808 | 2010-08-27 09:45 | 作品解説2010
「失われたタブロー」画像のチョイス

●今まで描いた画像
宇宙、宇宙人、UMA、山、アルピニスト、爆発、兵器、戦車…

●まだ描いてないけど描きたいもの
アーティスト、花、植物、恐竜、骨、類人猿、観光地の風景、乗り物、重機、機械、
海洋生物、武器、宇宙船、絶滅動物…

●傾向
・モノクロにしたときコントラストが強いもの
 (弱い場合自分で調整することもある)
・図鑑や百科事典、新聞に載っているような画像が多いこと
・男の子っぽいテーマが多いこと
・ミステリアスな感じも好き
・有名なもの、印象が強いものも好き


基本的に、描く作業は機械的なので、自分が描いたあとで達成感があったり、
(意味ではなく)画像自体に愛着や興味がないと制作できません。

ですので、本当に何でもいいというわけではないとおもいます。
(それに比べるとコラージュは何でもいいのかもしれません。)

いろいろ画像やイメージを集めて、好きなものを描いて自分のものになった気に
なることが重要なのだと思います。

ただ、ある程度描くと飽きるのと、新しい画像を描く楽しさもあるので、
どんどんリニューアルしたり、組み合わせを変えていけば面白いかなーと
思っています。

単純にウォーホルが好きなだけという身も蓋もないことも感じますが。

そのまま描く感覚、トレースするだけの行為に職人的な喜びを感じているのかも。

つづく

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by takuji0808 | 2010-08-26 09:51 | 作品解説2010
「失われたタブロー」の制作方法

制作方法もかいてみます。
別に特別な技術を使っているわけではないし、
最近このブログでも普通に書いている気もしますので。


●制作プロセス

①木製パネル制作
②シーラーで下塗り(ヤニ止め)
③ペンキの下塗り(イエローオーカー)
④ペンキの下塗り(1色につき2回×2色か3色)
⑤ペンキの下塗り(イエロー)
⑥支持体の研磨、粉をしっかり拭き落す
⑦ドットを描き、研磨
⑧イメージを描き研磨(2回繰り返す)
⑨ワニスで仕上げ


●色の決め方
・⑦の画像イメージを何色にするか

・ドットの色を何色にするか

・その後下地の色も決めていく

※もちろん、「とりあえず下地から決める」場合もあります。

※使用する色:
 カドミウムオレンジ、コバルトブルー、スカイブルー、
 カドミウムレッドミディアム、パーマネントグリーンライト、
 エンパイアグリーン、ライトマゼンダ

色は決まった色しか使っていません。
使う気がないというか、使えないというか。

つづく

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by takuji0808 | 2010-08-25 07:43 | 作品解説2010
「失われたタブロー」というタイトル

実はこのタイトルで引っ張る気は正直なかった。

タイトル自体すごく挑戦的だし、コンセプトを突っつかれそうだし、
よくわかってないとダメだしをされそうな危ない感じだし。

もともと宇宙飛行士の有名な画像をモチーフにした際に
思いついたタイトルなんです。

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<参考>「失われたタブロー」2008

モチーフが有名な画像ですので、そういう「画像そのもの」の意味が強くなったり
弱くなったり変わっていくのか、本質的には実は何も変わってないんじゃないか、とか
画像(イメージ)が2次的、3次的にコピーされることや、
流通することが気になっていた時期でした。

つまり最初はそういう作品の表面上の、使っているモチーフ(宇宙飛行士)
を意味するタイトルでした。


タイトルのアイデアが出たときは無意識だったんだと思いますが、
作品の構造にも当てはまるものではないか、ということに後で気づきました。

簡単にいうと「アンチ絵画」なタイトルですもんね。
<そりゃいろいろ言われるわ。>

わかってるんですけど、このタイトルでなきゃいけない理由があるんだと思います。


ひとつは自爆、自虐、開き直りのネタとしての理由。

失われたタブロー(絵画なんて終わってるゼ!)なんていっても、
自分がやってるのは形としてはどうやっても絵画ですし、
絵画という呪いをかけられているのも感じている。

だからもうタイトルに「花瓶と花の絵画」というタイトルを
つけるしかないような気分なのだと思います。

そしてもうひとつ理由があります。

自分は平面作品いくつかのシリーズにしてフラフラと定まらずに描いています。
(もちろん共通するものもあるし、しないものもあるけれど。)

この<「失われたタブロー」シリーズ>は自分の
平面作品のシリーズのなかでも4番バッターだと思っています。

初めて本当に納得できた作品ですから愛着もあります。
制作プロセスも、基本的な考え方も前述の2008年よりほぼ変化していません。

作品を並べて見たとき、やはりその2008年の作品の子供なんだな―、と感じていて、
ですから、タイトル自体が苗字みたいなものだと思うんです。

あとは、このタイトルが自分の制作の目的、その構造を
言い当てているような気もしているからです。

まあ、タイトルに関してはこの辺で。

つづく

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by takuji0808 | 2010-08-24 07:39 | 作品解説2010