日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

カテゴリ:つぶやき( 169 )

絵画と時間 01

絵画作品を制作時間で分類し、短期的な作品と長期的な作品に分けて考えてみる。

前者は即興(ライブ)によるドローイングのようなもので、
後者は日本画や写実のようなものとする。

技術や素材、環境から、否応なくそうなる場合もある。

これが、「スプリンターとマラソンランナーの違い」と似ていたら、
筋肉やフォームなど非常に分かり易い比較ができるだろう。

では、それら身体的な部分を除き、感覚的な部分でのみ比較してみると、
その2点に相違はない。

方法論が異なるだけで、作家の本質的な感覚は変わることはないからだ。

となると大切なのは、その根幹の感覚を磨いていくこと、
方法や技術の選択を間違えないことだろう。

でもそれが一番難しい。
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by takuji0808 | 2009-09-29 09:39 | つぶやき

夢と絵

最近は、はっきりとした夢を見ない。
起きたらすべて忘れている。

昔は色彩や感触まで細やかに覚えていた。
あるいは数時間で何十年もの月日を送ったこともあった。

少し眠ってしまい、現実の時間感覚に追いつくのに手間どることは今でもある。

感覚だけでなく、時間も飛び越えることができるのが夢なのだ。

そんな「夢」のようなことをできる唯一の方法が作品を作ることだと思う。

そう信じてロマンチックになっていなければ、やってられないのである。
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by takuji0808 | 2009-09-29 09:37 | つぶやき

ひとり移動する時間

部屋でひとり何かを考えている時間より
何かに乗り移動しながら考えている時間のほうが大切だとおもう。

常に動く風景が時間を視覚化させ、
そのことで脳が活性化するのか。

その理屈でいうと銀河鉄道999が哲学的なドラマであることは必然だろう。

動く空間のなかで、思考が活発になるように、
動かない空間に、思考が活発になるような「窓」としての絵画を置けるなら
なんて素敵なことなんだろうか!
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by takuji0808 | 2009-09-28 18:39 | つぶやき

作品を買うということ

1年前、ある先輩の展覧会に行ったとき。

大きさや、値段の問題もあるだろうが、
作品を買うということを初めて強く考えた瞬間があった。

なぜ、そんなことをおもったのか。

単純に、良い絵というのも、もちろんある。

それまで、学生という貧乏生活の中では、作品を買うという実感がなく、
そのときはたまたまバイトで稼いだ小金を持っていたという理由もあるだろう。

というより、後者の方が強かったとおもう。

即物的というか、単純というか、とにかくそのときの状況のなかでしか
作品に対して感じることができないこともあるだろう。

はたして、本当に自分はその作品がほしかったのか?
と今は考える。

作品に惹かれ、物欲や所有欲で、「ああどうしてもこの作品がほしい」と
作品を買いたいと思ったことは一度もない気がする。
(もちろん今後そういうことがあるかもしれないが。)

そのことに関して、ある種の罪悪感もあった。
つまり、作品に対して感動しない自分が美術をやっていいのか?ということ。

今は、そんなことは全然ない。

自分の作るもの、集めたものを飾る方がよっぽど健全だということに気づいたからだ。

未だ出会わない運命の絵画は存在するのか?
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by takuji0808 | 2009-09-28 13:37 | つぶやき

ゴーギャンについて 01

損保ジャパン所有の風景画「アリスカンの並木路、アルル」に惹かれてから、
ゴーギャンという画家の存在が気になるようになった。

先日東京にゴーギャンの代表作である
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を見に行った。
(しっかし長いタイトルだな―・・・)

手紙や文献で、確かに作品の完成後の自殺をほのめかしているが
自殺をする人間の心の内は、どんな身近な人間にもわからないものだ。
まして我々にわかる訳がない。

自殺未遂との因果関係はわからないが、確かに他の絵と比べ完成度は高いし、
素晴らしい作品であることは間違いない。

だからこそ、ゴーギャンが死ぬためにこの作品を制作したとは考えれない。
考えたくない。
絵を描くということは、生きるためのものではないのか。

自殺と結びつけるのは、悲劇的な画家という誤った大衆のイメージでしかない気もするのだ。

しかし同時に、ゴーギャンという画家の一生を垣間見ると、
美しい作品と人間性の関係を考えさせられる。
作品が免罪符となっている、とでも言おうか。

そのほかの作品を見ても、どこか調和を乱すような、不安定さがある。
そこに叶うことがない未来に対する希望が見え隠れする。
不定住で(今風に言うとバガボンド?)、楽園を求めたゴーギャンの資質だろう。

そんな大きな矛盾を抱えたまま、遺書として描いた作品に、
ゴーギャンの希望がないワケがない。

「救い」ともいいかえれるだろう。


あり得ない話であるが、ゴッホとの共同生活がうまくいったとしたら、と考えてしまう。
二人のその後の人生と作品も変わっていただろう。

だがその場合、二人の作品は今のような評価を得ることができただろうか。

画家の幸福とはなんなんだろうか。

そんなことを考えさせられた。
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by takuji0808 | 2009-09-28 10:13 | つぶやき
ウォーホルとラウシェンバーグは好きだ。
ただ、その当時と現在では表面のイメージのニュアンスが変わっている。

自分が好きなのは現在の、古くなったイメージの羅列だ。
そしてポップアート自体のイメージも消費され、二重に変異して原型を感じることは難しい。

しかし原型(つまり作家の衝動や意図)などは、作家にとってはどうでもいいことなのかもしれない。

そういうことをしなくては生きていけないほどの性(さが)と
その時代のリアリティを表面的に見える作品に隠している。

そんなある種の不完全さが自分がポップアートに惹かれる理由なのかもしれない。

不完全でないアートなどありえないとしても。
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by takuji0808 | 2009-09-28 09:58 | つぶやき

漂うイメージ

画像やイメージをネットや雑誌から収集しOHPで拡大し描いている。

ペラペラとしたまま、自分から少し離れた所に作品が着地して欲しい。

どうしても自分が平面作品を作ると、矛盾を抱えたまま頭の30センチ上を

「一体これはなんなんだ?」

という疑問が漂う。

最近は以前から多用している宇宙、山、アルピニストなどのイメージと、
以前から気になっている未確認生物(UMA)や宇宙人のイメージを描いたりしている。

荒いモノクロの、胡散臭さになぜか心惹かれている。

「このイメージをどうしたらいいんだ?」

またUFOのように頭の上で疑問が旋回し続けている。
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by takuji0808 | 2009-09-27 20:55 | つぶやき

ワーキングフロー追記

●「ワーキング フロー」

自分にとって、「作品を作るゾ!!」と
肩肘張って徹夜する行為はナンセンスです。

むしろ日常的に自分の好きなものや気になるもの、
全然関係のなさそうなものを集め、並べることにも
「ART☆」を感じている。

日常と作品の境界をぼかし、そこにある大きな流れのようなものが
複雑に絡み合い、枝分かれをして、作家の思惑やさえ濁る、駄作の海に溺れたい。
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by takuji0808 | 2009-09-27 20:51 | つぶやき

ブログタイトルについて

ワーキングフロー(Working Flow)

直訳すると「仕事の流れ」とでもいいましょうか。


自分は肩肘張って「作品作るぞ!」というような感覚より
シリーズ化されたような作品の変化、変動、そのなかでのバランスのようなものを
重視する感覚のほうが強い気がします。

あるいは、生活と制作が一体化するような作品を
(平面に限らず)視覚化したいという欲求があります。

それを指し示す言葉として「ワーキングフロー」という
造語(中途半端ですが)を用いることにしました。

ワーキングプア-に似ているのが難点でしょうか。
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by takuji0808 | 2009-09-27 19:26 | つぶやき