日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

カテゴリ:つぶやき( 169 )

六花文庫の朗読会の装飾の仕事をした。

黄色のプラスチックや、カラーコーンで作ったオブジェを吊るしたり、布を縫い合わせて吊るしたり、といった内容。朗読会ということで年齢層も高かったが(笑)、布に描くことの久しぶりさとか、準備とか、結構楽しんでやれたと思う。

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  *

カフェ・ラテルネさんのウィンドウに装飾する仕事もした。
カラフルなビニールテープを貼って、上のラインが漁岳と、小漁岳の稜線になっている。
この場所にふさわしく、かつ自分の仕事の延長線上にあるように、ということを意識した。

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どちらも平面作品を作る以外のオファーということで、またちょっと色々考えたり調べたりすることが多くて、ばたばたしていた気がする。

 *

あと、作品に使おうとここ最近はずっと黄色いプラスチックを収集しつづけていて、リサイクルショップやらゴミ箱やらをあさっています。目が勝手に探してしまうレベル。
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by takuji0808 | 2012-07-22 23:53 | つぶやき

近況 06/14

500m美術館とか、
芸術勉強会や・スポンジテーブルとか
山本さんドイツ行きおよびその手伝い(尻拭い)とか
笠見先生の躍進とか
山本先生の誕生会とか。

装飾のような仕事が入っていたり、
武田さんのパネル10枚を1日で作ったり、
ももクロにはまっていたり、
黄色いプラスチック収集したり、
宇宙船について調べたり…

ともかく、日常に流されつつも、
作品の展開に希望と絶望を感じつつ、
形にしたいことがいくつか出てきたので、
そのためのブラッシュアップをしつつ、な日々。

作品の感想聞きたいなあ。
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by takuji0808 | 2012-06-14 23:33 | つぶやき
<メモ>ロボットたちの墓標

アニメや漫画の世界において、自己犠牲とロボットは、様式美と言えるくらいの王道の展開だ。

地球を救うために、あるいは主人公の少年のために、自らを省みずに身を挺して隕石を止めにいったり、ラスボスに突っ込んだりするストーリーは多々ある。

古くは『鉄腕アトム』、『ジャイアントロボ』あたりだろう。

自分の世代で言えば、『ドラえもん』だろうか。『海底鬼岩城』『ロボット兵団』『雲の王国』などの大長編に、その傾向が強い。

そんなロボットがアメリカに行けば『ターミネーター』や『アイアン・ジャイアント』『ウォーリー』あたりになるのだろうが、基本『宇宙空母ギャラクティカ』的な、ロボットの反乱がメインテーマになるのはロボットに対する思想の違いがあってそれはそれで面白い。資本主義対共産主義とか。

ロボットが権力者のメタファーとなったり、ジュブナイルSFの典型で良くあるロボット(コンピュータ)が人間を命令する未来(これもある種のメタファー)を表現していたりする。それが日本に来ると『火の鳥(未来編)』の電子頭脳(懐かしい響き!)である「ハレルヤ」になる訳だ。

閑話休題。


カミカゼ特攻的な思想(美意識)を「ロボット」という「人間」ではないものに転換したこと。

それは、ガンダム(モビルスーツ)が未成熟な少年が父親を超えるための武装(身体性の誇張・拡張)であることとはまた異なる、「ロボット」という概念の複雑なアップグレードであったように思える。

つまり、前述のガンダムが身体性の拡張ならば、自己犠牲ロボットは精神性の拡張と言える。それは陳腐な言い方になるが、機械の体に精神が宿るか、ものに「こころ」を見いだせるか、ということだろう。入れ替え不可能なはずの「精神」と「肉体」は、設定・想像の上では、悠に飛び越え入れ替わっていくことが可能なのだ。ロボットという器に、「こころ」「精神」が宿り、キャラクター化していく。

我々は機械萌え、とは別の次元でロボットに感情移入する。それは、ロボットは人の姿を模した泥人形だとしても、その背後に人間を感じずにはいられないからだ。そしてロボット自体がもつ矛盾、入れ子構造の「死」、擬似的な「死」は、その答えの無さから多くのロボットたちを死に追いやってきた。

そしてふと、ロボットたちの「こころ」はどこに行ったんだろう、とおもう。(そしてそれはもともと無いのかもしれない。)ロボットに乗せた自分たちの思い、こころ、魂はどこに行ったんだろう、とおもう。

ロボット自体が棺桶のような、墓標のようなものなのだとしても、ロボットたちのための、靖国神社があってもいいかもしれない。魂の器のための墓標のようなものが。
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by takuji0808 | 2012-05-27 12:09 | つぶやき
やま、的なモノのもつ想像力の考察

ランダムに見えるが、何か法則のもとに集まり、うずたかくなる。

身体性、あるいは日常、機能、人間が集まり、塊となる。
またはモダニズムや工業、資本主義、消費社会の死体(抜け殻・ゴミ)が積み重なったものである。

ある種の仮説性と、凹凸の関係性がありながら、独立していく。

長い目で見れば、すべてがランドアート的であり、空間を変異させる力を持っている。

結果的に、畏怖の対象として増殖と風化の両義性を抱えていく。

「やま」が人間社会や集合知、コミュニティ、人生のメタファーならば、それをみるということは、自分自身(やその周り)を客観視することであり、それに絶望し、未来を積み重ねることに希望を持つということでもある。

(2012/04/28 追記)

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by takuji0808 | 2012-04-27 23:48 | つぶやき

お礼と個人的な感想

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まず遅れましたが、お礼申し上げます。

「絵画の場合ー最終章ー」にお越しいただき、あるいはご感想いただき、ありがとうございます。

細かい部分については随時補足して書いていければ良いかと思っていますが、そういうことではなく、全く個人的な感想をいくつか言わせていただきます。

単純に、大学の先輩に囲まれていいんだか悪いんだかよくわからない環境の中での展示でした。
(相対化できる環境とも言えるし、甘えて依存しているような環境とも言える。自立してかなきゃな。)

そして話をいただいたときから、「経験値の違いをどう埋めることができるのか、どう差別化できるか」をずっと考えていたような気がします。そしてその方向を、自分語りの範疇を超えるようなかたちで(きちんとアートの問題・歴史と向き合う形で)舵を切ったことが、功を奏した気がします。もちろん、作品としてまだまだ詰めれるところ、甘いところもあります。しかし同時に、作品の大きさやインパクト、作品の見せ方でかなり力技でやっていくことにしたので、そのあたりのバランスは良かったのかもしれません。

あと制作中ずっと考えていたのは「過剰さ」と「コントラスト」です。
イメージ作りというか、イメージコントロールというか… みたことの無いもの、ビジュアルをどう作るのか、あるいはみたことのあるものをどうコラージュするかということはずっと考えてきました。その強さ、面白さを高めるために、作品の構造・見せ方・空間の作り方をかなり再編しました。持っている材料・方法は変わらないですが、組み合わせ方と研ぎすませ方をしぼった、という感じでしょうか。

まだまだ言語化できないものも多いですが、作品で返答できれば、と思います。

で、5月に500m美術館での展示があり、インスタレーションのみの予定でしたが、壁も頂いたので今回展示した作品、その前に制作した作品、新作も含め展示する予定です。展示場所も変なところですし、インスタレーションと並べたり、また全然違う見え方になるかと思います。 怖いけど楽しみです。

今後ともよろしくお願いいたします。
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by takuji0808 | 2012-04-15 22:40 | つぶやき
「デジャブ」

作品の既視感はコントロールできるか?ということを最近よく考える。
それは自分が既存のイメージ(画像)を使うことが大きく影響しているからだとおもう。

今は、様々なジャンルや、方法論が一周して相対化した歴史にぶち当たっている時代だ。
あるいは身体性の拡張や、ジャンルの意味の拡張、コラボレーションに目新しさもない時代だ。

そんななかでは、どんな作品を観ても起こる既視感がある。それは別の言い方でいえば、レイヤーの中に美術史を閉じ込めて制作しなくてはいけないということだろうし、悪い言い方をすれば焼き直しにしか見えないということだ。

また似たような方法では、「記憶を想起させる」作品もある。そのあたりをごっちゃにして鑑賞してしまってはいけないし、そのような様々なフック(記憶を引き出すための装置・演出)を作ることを改めて考えなくてはいけないと思う。

映像の作品、あるいは漫画、あるいはインスタレーションは時間軸があるために、そのような記憶の演出に長けている。例えば、ある朝に絵画作品を観たとして、夕方にその絵画のことをふと思い出すだろうか? ドラマや漫画の作品を観た後のほうがそのような振り返りをすることが多いと個人的には思う。それは良し悪しではないし、むしろ絵画の強み・面白さは一瞬のトリップ感にあると思う。


「カーネーション」

なんでそんなことを考えたのかというと、朝ドラ「カーネーション」が面白いからだ。
坂の上の雲もよかったけれど、歴史(昭和史)としても、ドラマとしても、映像の演出方法をみるものだとしても、クリエイター(ファッションデザイナー)の伝記としても観ることができて面白い。

朝に観るのも影響していると思うが、ふわっと、いろいろ考えてしまう。


「マックとケーキ」

札幌随一の「ミス残念」主催のセルフバースデー(+α)がマクドナルドで執り行われた。

ふつうは幼稚園児などしか行わない今ではかなり廃れてしまったこの公開処刑のような荒行を主催し、休日をバスを乗り継ぎ、コストコまで資材のようなケーキを買いに行った彼女のその後は誰も知らない。(一部誇張表現あり)

お店の方主催でのビンゴもとり行われ、人生で初めての1位。
しかし運がいいというより、他の人の運のなさが露呈したような、消去法で繰り上げ1位のような消化不良感もあるが、凄いかわいい看板のようなキーホルダーだったので地味にうれしい。


「制作と展覧会」

でかい絵1枚がなんとか形になったが、表面ボコボコな部分があるのでワニスはスプレー(エアブラシ)じゃないといけないかも。めんどくさい。

タイミングよく休みがやっとあるので、それをあてにするしかないかな。
ここしばらく休み無しだったので、いくつか展覧会に行けず…
まあ、本末転倒にならないよう、とにかく良い作品を作ろう…

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by takuji0808 | 2012-02-21 16:14 | つぶやき

料理に関する雑記・制作

<料理に関する雑記>

●塩麹を作った

麹と塩と水を混ぜておくだけ。
詳しくはググッてくれれば良いレシピがあるでしょうからここでは省略。

発酵系の料理は、愛らしいね。味噌漬けもつまみにいいので愛用。

癖がないので塩味ベースのおかずを増やすのが簡単。

おすすめは
・キュウリの斜め切りなどの野菜と生姜の細切りを混ぜて漬物
・生姜焼き用の豚肉を1日漬けたものを焼く
・ゆでたキノコと醤油、ごま油で、塩ダレ。油揚げや豆腐にかけたり、パスタの具にしたり。


●生春巻きの皮

生春巻きの皮、ライスペーパーが気になる。
生春巻きは作ってみたいとは思うけれど、自分はそんなに生春巻きが好きではないのが問題だ。

生春巻きって手軽でおしゃれなサラダのようなものだけど、ソースに癖があったり、お店によって当たり外れがあったりして、別に食わなくてもいいかな、と思う微妙なメニューだと思う。それだったら和風のサラダとか、ラーメンサラダとか頼んだ方がいいとおもっている。

それはともかく、ライスペーパーの質感や半透明な感じが、アクリル絵の具のメディウムを固めた感じに似ているというのが気になる主な理由である。でんぷんのりも似ているよね。

乾燥させた際についたであろう網の跡とか、縁の微妙なぼこぼこしている感じとか、いいよね。
でも、作る一歩を踏み出せないこの微妙な距離感。

●圧力鍋

いろいろ作っている。

牛筋の煮込み、豚の角煮、さんまの生姜煮、茶碗蒸しなどなど。
しかしなんだかんだでゆで卵やじゃがいもを蒸すとか茹でるのが楽。


<制作>

ドットを描き続ける日々。頑張っても描くスピードに限界あり。
圧力鍋のような感じの最適な方法(時間短縮できる技術)は無いのかなあ…ってずっと考えているのだけど、でかい絵独特の苦労、という感じ。

心を無にして淡々と作業。
おかげで鬱気味。反動でAmazonで画集を注文。

こういう買い物とか、料理をすることでストレスを解消している気がする。

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by takuji0808 | 2012-01-24 00:43 | つぶやき
●制作

11月からやっていた90センチ平方の作品のヤマを超えて一安心。

もう寒いのでアトリエではストーブをつけてから30分は外気温と変わらない感じ。
1日ごとに作業しているからまだ大丈夫な部分もある。

春になったらまた少し整備すすめたいなあ。水周りとか…
でかい作品の準備もしなくてはなあ…


●酒のつまみ

夜寝る前に、熱燗や焼酎お湯割りを飲む日々。
最近は味噌漬けに凝っていて、クリームチーズとゆで卵が一押し。作り方は簡単で、味噌+酒、砂糖少々入れて練って漬けるだけ。味噌を継ぎ足しながらやっているのだが、最初は味がしょっぱめだったのが、ここ最近はまろやかさで良い感じに。2日間くらいが適度。

ちなみに、しばらくハマったおつまみ↓

ハニーローストピーナッツ、餃子の皮の簡易ピザ、ガーリックトースト、枝豆のニンニク炒め…

酒はなんでも呑むけど、量が食えないのは大学から変わらないなあ。

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by takuji0808 | 2012-01-09 22:52 | つぶやき
ブログやらFacebookやらなんやらやっていると、あっという間に時間をつぶせる物悲しさよ。

ここ最近は展覧会ごとのアカウントを取り、情報をツイートしたり、スタッフ裏話みたいな形でブログをアップするのがデフォルトになっている気もする。

しかし実生活でもめんどくさいのに、どれだけの労力を割けば効果が上がるんだろうかとおもう。実際、すべて効果的に使用出来ているのは、札幌では数少ない気がする。

となるとやはり個人で持っているアカウントで情報(正式な情報も、裏話も)を拡散させていくのが一番楽で手っ取り早い。

しかし、足を使って展覧会やイベント情報を仕入れなきゃいけなかった時代と、今のイベントに来る人数は何か変動しているのだろうか…という素朴な疑問が。

先輩に情報を聞くか、北海道美術ネットでチェックして、ギャラリー巡りしていた頃に比べると、なまじネット上で画像が見れる分だけ観た気になってしまったりして、足を運ばなくなるなんてこともあるかもなあ。

  ■

そういうことを考えたり、ネットの炎上をみると、今後必要なのはスルーする力なんじゃないかとも思う。
それはクレーマー対処法のような単純な話ではなく、溢れる情報を取捨選択する力とも言いかえられる。

しかしこの取捨選択という名の「無関心」こそ「悪」なのだろうかなんて話もあったりして。
(特に原発問題以降その風潮が強いと感じているのだが。)

溢れる情報もある種の暴力性を持っていて、日常に圧をかけてくる。
それに振り回される自分たちは何なんだろうかと思う。
実際問題スルーしたり、受け流す力がないと、やっていけない現実もあったりして。

そういう不自由さというか、失われた未来のようなものは、サイバーパンクか、情報化社会のユートピア(甲殻機動隊みたいなもの)が微妙にずれて来ている感じで個人的には面白いとはおもう。

  ■

そんなことを考えつつお正月。
忘年会・大掃除・新年会というコンボで制作に手間取る。
理想としていたラインに届かず。というか間に合うのか?

でかい作品もあるのに手をつけれず…

ここ最近はそういう地道な作業を淡々とやっている。
しかもその作業はスピードが上がらないので、もう本当に修行のようだ。

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by takuji0808 | 2012-01-06 12:10 | つぶやき
今年を振り返って。

1、 地震・原発

何はともかく、この2点。

今思うのは、画家の目線でこれらを考えるということ。
例えば写真家や映像作家、社会的な作品を作るアーティストは
これらをテーマにした作品を作っても良いかもしれないが、
イメージを消化(昇華)する画家はこれらをテーマに作品を
今すぐ作ることにギャップがあるということだ。

まあ何年後かに新しいイメージが出てくる可能性があるかもなあ。


あとは、Twitterやニュースなどで感じるのは、
善意の暴走が怖いということ。

無意識に信じたことを正しいと思い、他人に圧力をかける人たちがいる。
それがネット上に溢れれば「炎上」だし、現実で集まれば「デモ」になる。

「世の中を変えよう」という意気込みを否定する訳ではないけれど
その空回り感というか、焦燥感はなんだろうと思う。


2、 自分に関して


料理に関するツイートばかりしていたら、料理人っぽく扱われるように
なったのだけど、高校生位から料理はしていたので、なんだか落ち着かない。

料理をツイートし始めたのは地震の直後くらいかなあ。
もうTL上が殺伐としていて、きつい感じだったから、無意識にしたのかも。

作品も作れない時期がやっぱりあって、その代わりという意味もあるけれど、
レパートリーも増えたし、まあ良いか。


夏頃には改めて作品を作れるようになったので、来年はちゃんと
発表していかなきゃいけないかなあ、と前向きに思っています。


ともかく今年度もお世話になりました。
来年もよろしくおねがいいたします。

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by takuji0808 | 2011-12-31 15:36 | つぶやき