日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

カテゴリ:つぶやき( 169 )

最近のこと・メモ

なんだか、地味な日常過ぎて書くことがないけど、一応メモ代わりに更新。

●最近のつまみ・流行

・ガーリックトースト
・枝豆
・ミックスナッツ

・丸い氷を作る製氷器

・SS速報VIP

・ゴーカイジャー

・水曜どうでしょう


●芸術勉強会

普通に楽しい。

自慢大会、不幸大会、説得大会にならないように上手いこと進んでいる気がする。
個別の作品の批評会をするならいっそのこと、個展ラッシュがあれば解決するかも。


●最近買った本

「CYZO×PLANETS SPECIAL PRELUDE 2011」宇野 常寛
「物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ――構造しかない日本」 大塚 英志
「芸術闘争論」 村上 隆


●油絵

高校の美術部の指導のために久しぶりに油絵の具をいじる。
久々だと楽しいかなーと思っていたら、そうでもなかった。
匂いとかが、生理的に苦手になっている感じ。

デッサン力のような、写実表現の能力が指導するには物足りなく、
そういう力が落ちているのを実感。代わりに、筆の使い方や
最短距離を行くための直感は冴えている。

ともかく油絵に行かなかったのには理由があったんだなーというのを再確認。
研究室内で油の種類(石油系とか)でくさいくさくないの喧嘩をしていて、
どっちも同じくらいくさいと思っていたなあ。

●制作

試作してよかった、というかんじ。

新しい絵の表情が見えそう。
しかし、この調子だと絶対頭打ちになるので、また違う仕事の引き出しを
開けていかなくてはいけない気もしている。

●画像

このブログにほぼ必ず載せている画像も123枚目になりました。
まあ、写真を取り込んだり加工するのに比べると、楽っていうのもありますが
イメージやアイデアをすぐに形にできるのはドローイング的な意味でいい訓練かもしれません。

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by takuji0808 | 2011-06-06 11:54 | つぶやき

近況 05/20

<制作>
・30センチ平方の木製パネル 4つ

新しいマチエールの実験中。
上手く仕上がるかが見えないので、ぶっつけ本番を回避するため。

30センチサイズは久々に作ったな…2年ぶりくらいか…?
一時、このサイズばかり大量生産した時期があったなー。

技法的すぎる気もするが、上手くいきますように…


・90センチ平方の木製パネル 4つ

2枚は基本的にいままでと同じ感じだが、
下地の塗り方や、表面の描くイメージも新しいものを試した。
いままでにないものが出来上がって、どうしようかと思っている。

そのほかの2枚は以前描いた事のあるイメージの別バージョンにするつもり。


<アトリエ>
暖かくなってきたので、ワラジさんも活発化。
殺虫しまくりラクリマクリスティー。

床を綺麗にしたり、箱椅子が完成したり、ちょこちょこ整備。
しかし反比例して物がごちゃごちゃしている。

掃除、というより片付けしなきゃなあ…


<展覧会>
・額田春加 個展
2011/5/17(火) ~2011/5/22(日) 10:30~18:30(最終日17:00)
さいとうギャラリー

・土田俊介 個展
2011/5/7(土)~5/28(土)(日曜祝日休館)
CAI02

珍しく平日が休みで展覧会回り。
東急ハンズ上のグラスイズムで眼鏡新調。
視力がだいぶ落ちていた… orz

額田さんの作品は、一点突破のエッジの効いた表現というよりも、
さまざまな文脈を貪欲に呑みこんで、鉈(なた)のようにぶった切る感じ。
YさんとかKさんが半分冗談で天才・孤高と言うのもわかる気がする。

絵も決め打ちのようになっていたのが、かなり動的に、人間的になってきて、
そのバランスの危うさが「これから」って感じで面白かった。

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by takuji0808 | 2011-05-20 12:34 | つぶやき
私たちの現実世界があって、扉が違う世界に通じている、というのはファンタジーで良くある導入である。それが扉ではなく木の根もとにある穴や絵画、洋服タンス、駅のホーム、トンネル、洞窟…何の形でもいい。違う世界への入り口の象徴として「入り口」は重要なキーワードとなる。アリスしかり、ナルニアしかり、ジブリしかり。

(ちなみにここでいう物語は神話や宗教のなかでの世界観ではなく、オタクやサブカルの中で消費される世界観を軸として考えています。その相違も考察すればきっと面白いだろうけどここでは割愛。)

  ■

「扉をくぐった主人公が冒険し、成長し、何かを達成し、何かを得る。」

非常に古典的な物語の組み立てだ。

  ■

個人的に、扉という設定を最も効果的に作品に取り入れたのは「モンスターズインク」だと思う。それ故に、「主人公が違う世界へと旅立ち、冒険し、成長する物語」には限界が来た、ということも言える。

「異なる世界」(非日常)は「私たちの世界」(日常)のカウンターとして存在していた。そしてその世界に飛び込むためには、扉が必要だった。なぜなら、最後には主人公は「私たちの世界」(日常)に帰ってくるオチが必要だったからだ。

(ドラえもんたちは、大長編の最後では必ずのび太の部屋にどこでもドアで帰還し、ママはそれに気づかない状態で、夕日バックのエンドロールというようなベタなオチが重要だった。)

この日常/非日常の対比によって物語の強度は保たれていた、といえるだろう。主人公が日常に帰還することで非日常が際立ち(現実世界の主人公にその経験がフィードバックされ)、そこにエンターテイメントが生まれる。つまり扉こそ観客が物語に没入するための一種の装置であった。

扉はファンタジーと現実をつなぎとめる楔であり、世界をわかりやすく示す境界線のようなものだったのだ。

  ■

とまあこれが一昔前の「世界」の構造を描くシナリオだったわけだが、現在はどうだろうか。

扉はパソコンや携帯電話のディプレイになり、タッチパネルになり、3Dになっている。我々は扉を通る必要もなく、違う世界へとアクセスできる。

甲殻機動隊やマトリックス、インセプションなどの作品における「世界」の構造は、現実世界に対立するわけではなく、コインの裏表のように、あるいは寄り添うように存在し、そして現実世界との間にある境界線をぼやかしていく。

これは、携帯電話やパソコン、ネットワークなどのデバイスが人間の身体性を拡張して、ネットワークという新しい世界が自分たちの世界に隣接している現実だ。

  ■

さて、ここで考えなくてはいけないのは、東北地方太平洋沖地震で、また現実世界のほうが揺り動かされている「いま」だろう。

911の時も思ったが、あれほどショッキングな映像が流れていながら、どこか「視た事のある」感覚に襲われた。それはアニメや漫画、映画で何度も見た光景だ。

表現するものとして、この問題については、ずっと考えて行かなくてはいけない気がしている。

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by takuji0808 | 2011-03-25 21:03 | つぶやき

彫刻メモ

彫刻に関して まとめ、メモ

いまさらだが芸術勉強会でのことを自分なりに思考したメモです。


今は「平面」と「立体」いう言葉もあるけど、空間に対しての考え方が決定的に違うのが彫刻で、さまざまな情報・思想・思考・身体性・エネルギーを平面上に圧縮していく(レイヤー状にしていく)のが平面で、空間にそれらを拡張させていくのが立体っていう単純な話を確認できたの良かった。

Kさん曰く「予備校時代から彫刻専攻と絵画専攻でデッサンの仕方(最初の意識)が違う」。
川上さんも同じような意味で「空間に対して」のデッサンが彫刻では重要と発言していた。

そうなると、クリストや川俣正のデッサンが重要になりそうだし、今回川上さんが見せた「マウントしたフィルムを模した彫刻作品」もアカデミックなジャンルを越境、結合した、コンセプチュアルな作品だということがよくわかる。

  ■

村上隆や奈良美智の立体作品、フィギュアなんかは、平面出身の人の立体作品ってニュアンスが強い。これは簡単にいうと、無着色のフィギュアが「立体作品としてどうなのか」って話だと思っている。

あるいはステラのレリーフ状の絵画と、ピカソの立体作品の比較だろうか。

  ■

あとは絵画史では重要な「写真登場」が彫刻にはあまり影響を与えてないこと、
似たような転換期があまり起こっていないことが面白かった。

神の不在、建築、素材(石油系素材、プラスチック)なんかは絵画史とほぼ同じ感じ。


同じように、絵画で言うコラージュ(情報社会のメタファー)にリンクする表現方法はあるのかどうか、が気になったな。


このあと別件で建築関係者に話を聞く機会があり、パソコン(CAD)以前の建築史のターニングポイントはなんですか?と聞いたら、「電卓」と言われた。

これは3次元の計算(曲線の表現)が可能になった、ということ。

これって彫刻のスケールが巨大になるのと深いかかわりがあるんだろうな、と推測。

  ■

今回は輸入された彫刻の概念を基本にやったが、それ以前の日本にあった仏教彫刻や工芸、以後の海外の影響を受け混ぜこぜになっていく具象彫刻、木彫、もの派からフィギュアに至る過程、ロボットやデバイスによる身体性の変化なんかを確認出来たらよかったけど時間がなかったな。

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by takuji0808 | 2011-03-20 12:26 | つぶやき

地震、津波、ツイッター

地震、津波。

とりあえず、被災地や、いまも必死の活動をしている人に対して祈ること、
想像力を働かせること、落ち着いて何ができるのか考えることを優先しようとおもいます。

青森の親戚の無事も確認でき、ほっとしています。

地震直後からタイムラインが地震直後から凄まじい勢いで、まさに津波のように流れていく様子は「本当にやばいことが起こっている」裏付けをされているようで恐ろしかった。

公式・非公式、真実・デマ、リアル・リアリティが多重に折り重なっていく。

ツイッター(ネット社会)のメリットデメリットがイレギュラーな状態だからこそ
浮き彫りになるのを目の当たりにする。

善意の情報拡散が障害になってしまうこと。
情報収集のいちツールとして使うなら結構優秀なこと。
ツイッターのリテラシーはグレーゾーンが多いこと。
などなど

とりあえず、素人の善意が迷惑になることもあるので、目先のできることにとらわれて「現場」を圧迫することもあるので、留意しましょう。

日本はどうなるんだろうな…

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by takuji0808 | 2011-03-13 12:50 | つぶやき

近況 

おひさしぶり!!

ひどかった雪も気付けば小康状態かなーと思っていたらドワっと降る。
この感じは北国特有の春への焦燥感、雪に対しての諦めがありますね。


今働いているところが来年どーなるかこの段階でわからないという
綱渡りな人生を歩んでいるような状態でも、とりあえずあと1年は大丈夫そう。

そう、全部雪のせい・・・

とはいえ人生どうしようかなーなんて考えながら確定申告へ。

帰る途中で急にグワングワンとするなーと思っていたら、微熱。
そしてこのタイミングで地震。もういろいろ揺れ動いている。

おかげで久しぶりの休みは半日寝て過ごしました。

とか鬱っぽい感じの文章にも見えますが意外と元気です。
まあ何か月前か、すごい変な時期もあったけど。
(外界と遮断したような音信不通状態、仕事ばっかりで少し鬱だった)


近況としまして

・とりあえず毎年恒例のコンペもダメだった。

・料理をしたりしてストレスを解消してる。

・作品もちゃんとつくってます。

・バレンタインはなぜか岩見沢の三船で山本先生とマンツーマンで呑んでました。

・「芸術勉強会」に参加。川上さんの彫刻史レクチャー。

まあ、歴史の勉強としてはほとんど概要と川上さんオススメ作家紹介だった。
ドナルドジャットの美術館とかは行ってみて――ってなった。

・ブログの文章も二次創作のこととか、彫刻のこと、画家共有できる感覚のこと、北海道のこと、最近の札幌のこと、最近見た展覧会のこととかいろいろあるんだけど途中まで文章化して挫折してる状態です。

ま、落ち着いたらまたまとめますので。

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by takuji0808 | 2011-03-11 12:39 | つぶやき
[承前]

「N次創作的な創造」はアーキテクチャー論や、リアルタイム化するネット社会などを絡めて考えることもできますが、最近考えているのは「作家」がN次創作的な作品をどう扱うか、あるいはN次創作的な表現とは何かという点に関してです。

前述のリンク先を読んでいただければわかりますが、N次創作のひとつの例としてわかりやすいのは、[ライトノベル-アニメ-ニコニコMAD-同人誌]といった流れ(関係)そのものを一つの作品として考えていくこと、つまりコンテンツそのものを創造することです。

コンテンツやソフト、アーキテクチャーそのものを創造していくこと、多くの領域、メディアに侵食していくように仕掛けることがここ最近行われているさまざまなコンテンツの特徴だと思います。(アイドルマスターなどのゲーム、アニメ、ニコニコMADや韓流アイドル、AKB、初音ミクなど)

しかしここで言いたいのはそういう「状況」を作品の一部にして、そういう社会現象を見据えて作品の一部として用いている「構造的な要素を持つ作品・創造」とは何かということなのです。

わかりやすいくなるように図にしてみました。
一番下の作家(作品)としての立ち位置の話なんだとおもいます。

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映画でも構造を意識し、それをメインとする作品が増えてきた気がします。
まあ「違う世界」への旅、主人公の成長というのはファンタジーの王道なのですが、それに近い形をとりつつ、どちらかというと「構造的な社会」をテーマにした作品が増えているような感じです。
(まあ自分がそういうところに目が行ってしまうということでもありますが。)

  ■

「N次創作的な作品」という曖昧な物言いにしているのは、その線引きの難しさですが、具体的に言うと自分は横尾忠則、大竹伸朗、村上隆(敬称略)などの作品を見て、そういう連想をしてしまうのです。
(村上隆風にいうとレイヤーにそういう要素がある、ということでしょうか。)

つづく
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by takuji0808 | 2011-02-09 19:17 | つぶやき
同人誌、pixiv、ネット漫画、初音ミク、東方プロジェクト
vip板などで書かれるSS(ショートストーリー・サイドストーリー)
アイドルやお笑い芸人のキャラクター的な扱われ方
ニコニコ動画のMADムービー…などなど

二次創作の二次創作、そのループ、派生し続けるN次創作と呼ばれる現象をどうとらえていくべくか。
詳しい内容は自分が駄文をさらすより、まずこちらを読んでいただけると話が早い。

「作品それ自体がデータベースであり、ネットワークであり、
コミュニケーションでもあるような」

濱野智史(日本技芸リサーチャー)2009年07月15日号

http://artscape.jp/study/rekishi/1207202_2746.html

  ■

難しく考えると、どこまでも考えられるのだけど、なんでこんなことを考え始めたのか、まずはそのきっかけを書きます。

美術の授業で、まあ自由に何か描いてみろーと課題を出せば、ワンピースやブリーチ、ナルトなどのジャンプキャラや、そのほかアニメキャラを描きたがる人が多いのです。

自分もそういう経験があるのでよくわかります。

授業でなくとも、落書きや趣味としてそういうことをこっそりしている人間は多い。
さらに、その描いた絵をネット上にアップしたら、それは「表現」と言えるのだろうか?

また、アニメキャラでなくとも、好きなアーティストのジャケットを写したり、ネットで検索した画像を参考に絵を描くのはどうなのだろうか?(もちろん、制作者の意識の違いなどの根本的な違いがあるのはわかる。)

さて、その「写し絵」は「創造的な表現なのか?」

これが第一の疑問でした。

それを別の物言いをするなら、プロとアマチュアの違いであり、既存のアーキテクチャー(設計思想)に依存しているか否かという話でもあると思うのです。

クリエイターならば、そこで新たなキャラクター(作品・コンテンツ)を創造するのが王道かもしれませんが、そうなると今の時代、団体戦でかからなくてはいけない場合が多いんだろうなあ…

まあそんなことを考えていたわけです。

<つづく>

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by takuji0808 | 2011-02-07 18:27 | つぶやき

近況 01/10

おそいですが、あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。


・制作
順調とは言えないけどちょこちょこ進めています。

でかい作品ひとつができたので、マットワニスで仕上げたり。
(でかいので乾燥に時間がかかる…)

しっかし、寒くなってきたので地味につらいことが多い。

絵の具を入れている皿をずっと持っていると手の感覚がなくなる、とか。
筆洗器が凍っている、とか。


・そういや、このブログ用にちょこちょこ載せている画像も110枚を超えました。
1枚につき5分とかからないペースで作るのでドローイングのような感じです。

このブログもなんだかんだで続いていて、びっくりする。
たぶん、本当に美術のことだけちゃんと書くとか、日記のように書くとか
そういう考えではなく、実験的にマイペースでやっているのがいいのかも。

そんな感じでやっていきます。

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by takuji0808 | 2011-01-10 18:51 | つぶやき
「油展」という、元大学の展覧会のレセプションに顔をだす。
仕事の都合上、遅い時間にしか行けなかったためだ。

仕事としては、学生だということを差し引いても、
正直レベルが低いので特に言うことが無い感じ。

予備校の延長戦でしか思考していない(つまり何にも考えてない)のは
先輩(近くにいろいろ実践している人)がいないから仕方ない。

けど自分のイメージに近づこうと試行錯誤した痕跡っていうのは
絵にこびりついて、なぞの魅力を発揮する瞬間があって、その微妙な部分が
どうでもいい自意識のせいで阻害されているんじゃないかなあ、とか思う。

ここでいう自意識っていうのは、プライドとかオリジナリティとか、
「自分は少し、人とは違うんだ」や、「平凡な自分だけど一生懸命やりました」的な
アートセラピー(グルーミングアート)に近い感覚のことだと思うんだけど。

  ■

札幌ビエンナーレ結成100人記念パーティーとやらに出席。

元来の人見知り体質が首をもたげてウロウロしたり、トイレに行く機会をうかがっているほどでした。
まあ、美術という話す(コミュニケーションする)軸があるので、
全然苦痛ではないですけど、やっぱりこういうのは苦手かもしれないなあ、
目上の人が多かったっていうのはあるけどさー。

こういう場では逆に自意識を意識するとダメなんだなあ、ジレンマ。
だから作家としては落第点かもなあ。

肝心の内容は、概要の説明というか、札幌にはこんな資源があって、
それをアートでくくって面白くできます!っていう経済人に対するプレゼンだった。

まあ、材料は良質なので、あとはその調理方法はしっかり考えて行かなくては
いけないだろうなーという感想。

  ■

S-AIR連続講座Vol.3 『国際芸術祭研究』講座 にも参加。

芸術祭っていうより、それを基本とした市民運動という感じなんだな、やっぱり。

まあ、ヘルプばっかりで疲弊したら元も子もないけど、
とりあえず札幌ビエンナーレという目標とか仮想敵を自分たちで作り上げれば、
わかりやすく、作品を作っていくイメージができる気がするなあ。

そのためには、若い人は若い人でなんかやらないといけないのかなあーなんて思ったり。

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by takuji0808 | 2010-12-14 22:26 | つぶやき