日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

カテゴリ:展覧会感想( 37 )

さて、続きです。

<ギャラリーB (3階)>

●小林麻美
メタ鑑賞構造絵画。絵の中の物語がループしている合わせ鏡のような印象。

個人個人の小さな物語を語るだけではなく、それをどのようなレイヤーで、構造で、もっと言えば「構図」と「空間作り」で見せるかに、今展示で最も意識が強い作家かもしれない。複雑な入れ子構造を、膜1枚通すことであえて単純にして(芯を通して)絵画にしているのは、実は結構すごい発明だとおもう。

絵の構造が強調されているのは、樽前artyや乙姫の展示よりすっきりしているからだろう。変な展示をしたがる(絵の外の構造にも気持ちが引きづられてしまう)のは小林さんの性癖みたいなものだったのかもしれない。

例えるなら、生春巻き。

●西田卓司
*省略 誰か書いてください

●末次弘明
問題意識としてはかなりシンプルで、アプローチは笠見さんと似ている。メンバーのなかでは、ちょうど中堅の世代。

展示中に、作品の高さで絵の印象が全く変わっていたのが記憶に残っている。形態や色彩、思考などさまざまな要素がプレーンな絵だとおもう。形や色彩、モチーフなどがどこから来たのか読みづらいのもそう感じる一因なのかも。そういう意味では、展示中、一番自由さを持った絵画だったのかもしれない。自分の立ち位置を読むことや、制作と距離感、作品のドライな感じは共感できる部分が多いが、同時に読む解けない部分もあってそれは微妙なジェネレーションギャップなのか、地域差なのかはよくわからない。

例えるなら、ポタージュスープ。

●大井敏恭
一番年代が離れている大井さんと自分の絵が似ているのが面白かった。構造やレイヤーに頼らずに強い絵画を描けているのが改めて凄いと思う。

若手は世代的な共感ではなく、カリフォルニアの地域的な感覚に共感している可能性もあるのかもしれない。(グローカルの輸入時間差ってあるかもしれないな。)

郊外的な感覚(中央に対するコンプレックス・疎外感・時代に対する焦燥感)っていうのは別に固有のものではなく、むしろ主流であり、モダンなものだとしたら、大井さんの作品はその問題(ローカルな絵画こそ実は主流であること)を真っ向から引き受けている作品だろう。

例えるなら、郊外一軒屋レストランのランチプレート。

●林亨
正直にいうと、林さんの作品が一番感想を書きにくい。とっかかりが少ないように思えるし、とっかかりがありすぎて何から言えばいいのかとも言える。(もちろんそれは善し悪しではないです、自分のセンサーに引っかからないだけかもしれないし。)そこに末次さんのプレーンさとも似ているのだけど、また違う林さんのスタンスが見え隠れしている気がする。

レイヤー構造にも見えるし、具象画にも見えるし、森林はドライにもウェットにも見えるし…というようなことの考えが行ったり来たりしてしまうのだ。

例えるなら、温野菜サラダ

●谷口明志
空間に対する線、支持体に対する線というシンプルなコンセプトの作品。このシンプルさは、下手に環境やら構造やら絵画史を考えてしまうことに対して有無を言わさない強みがある。

リキテンシュタインの筆跡絵画や、アンディ・ゴルズワージーとの比較で、より面白くなる作品だとも思う。

例えるなら、もりそば。

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全体を通しての感想は、内部からだと展示や運営のことなど含め、客観的に論じれない部分が多いのでしません。とりあえず、おしまーい。
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by takuji0808 | 2012-04-18 16:55 | 展覧会感想
「絵画の場合ー最終章ー」感想
(2012年3月14日~2012年4月1日 )

個人個人の作品の感想・批評を書いているブログが一つも見当たらないという悲しい現実に愚痴っていても仕方が無いので、もう自分でやるしかないでしょう、こんちくしょうめ。
(というか自分より笠見さんとか山本さんのほうが思想オタク・絵画オタクだからよりレベルの高い感想が書けるとおもうのだけど…グチグチ…)

*鑑賞した順番です (敬称略)

<ギャラリーA (1階)>

●笠見康大
メンバーのなかで一番身体的な作品なのかな、というのが第1印象だったが、いまはちょっと違い、一番「感情的な」作品だと思っている。それは情動と情念と感情の間を身体を介して絵画にしているように感じるからだ。(*情動とは,身体的なものにまで影響を及ぼすような強い感受的状態のことである。これに対して情念とは,情動がさらに強まって永続化し,われわれの生の自然の流れがせきとめられて苦悩にさらされている状態である。そしてさらに感情とは,統御され自覚された情念のことである。)ざっくり言えば感情論の可視化だろうか。

しかしほぼ毎日描くことで手癖や方法がパターン化していくような状況や、紙のサイズや筆の大きさ、絵の具の種類によってベストな方向に向かってしまう本能的な部分をポジティブに受け止めて、いっこいっこ片付けているようだ。そういう画家の体内時計(世間とは違うスピードで流れる制作過程)をみると、等身大の人生の切り開き方(それができるかどうかはさておき)を見ているようで勇気づけられもするし、これでいいのかなと不安になったりもする。

ストロークやグラデーションの面に、紙をこすったような、かすれた表現が混じっていったキネティックな感じのドローイングが新鮮だった。

例えるなら、混ぜご飯おにぎりとちらし寿司。

●澁谷俊彦
近作で行っているのは、反射光と場との関わり方と言い切れるだろう。となると、変な場所であればあるほど作品はその場所に合わせ、あるいは状況が想像を超えていく多弁さを持つ可能性がある。だから春香山やモエレ沼のような過酷な、それこそ人の来ないような場所での仮説的な、記録のみでの展示を見てみたいとも思う。

デザイナーとして、もっとはっきり言えばウインドウディスプレーヤーのような感覚で、ニーズに応える割り切りがあっても良い気がする。というのも、今回の展示の場所は、澁谷さんの作品はランドマークの役割が大きかったと思うのだが、その役割を果たしているとは言いがたいからだ。しかしアーティストとしては、風や雪など色んな要素を取り入れている貪欲さが前に出ている時期なのかもしれないので、今後作品を絞り込んでいかなくては行けない時期にどのように変容するのかが楽しみとも言える。

例えるなら、公園で食べる幕の内弁当。

●山本雄基
今展示で、狡い方法で(笑)作った最大サイズの作品と最小サイズの作品。皆が言っている「今後の展開が楽しみ」が結構この作品を言い当てている気がする。もうこのサイズでこの作品を発表してしまっては、丸以外の幾何学形態(直線)のみを用いた、従来のようなサイズの作品を見てみたいというのが、鑑賞した人の要望になってしまうのではないだろうか。丸シリーズ、三角シリーズ、四角シリーズ…みたいな

しかしこのサイズでしか新しい方法を提示できなかったというのは、逆に面白く感じる。もっと、コントロールできる適度な大きさで作ることも可能だったはずなのに、「大きさ・数」という過剰さを選択したという嗅覚は今の時代的なものなのかもしれないし単なるこの展覧会だけの意地なのかもしれない。しかし落ち着いた色彩や手仕事感を無くしている感覚は、それとは相反している。つまり山本さんの子供の頃の記憶やモダニズム・絵画史(80年代的なもの)と、リアルタイムにある感覚・山本さんの身体性(00年代〜10年代的なもの)の、そういう両義性をどういうバランスで提示するかが作品の肝となる気がする。

例えるなら、和風クリスピーピザ。

●武田浩志
アーティストトークでは「ポートレートシリーズの解体過程」を展示した、と言っていた気がするが、展示はそれに尽きるだろう。

近作の印象としては、ノイズの作り方・使い方の上手さが目を引いた。時間的な問題(短い製作期間)を逆手に取って、ズレや剥がれ、泡、傷のような本来良しとされないテクスチャーを積極的に作品に取り入れているので、技術的な部分での制球力、防御率の高さはダルビッシュ並みなことを再認識した。

同時に、そういうライブ感、野獣的な部分は在学中の作品との共通点もあるようで、前述の「ポートレートの解体」という意味合いとリンクして興味深い過程だとおもう。

例えるなら、デパ地下スイーツセット。

<続く>
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by takuji0808 | 2012-04-18 16:38 | 展覧会感想
展覧会とかの感想。

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札幌美術展「Living Art ―日常― やさしさはいつもそばに。」

会期:2011年11月29日(火)~2012年3月7日(水)
会場:札幌芸術の森美術館


気になった作品と感想を雑多と書くと…

高橋靖子さんの刺繍の作品と、絵画作品を比較したときに起こるギャップがおもしろい。情念的でありながらクールさもある絶妙な感じだったり、絵にすると逆に綺麗すぎる感じ(イラストっぽくなる感じ?)が不思議。

今村育子さんの作品は以前までと比べ全体的に堅さがある気もするが、そのぎこちないライトのギミックがまた新しい記憶の引き出しかたを提示しているようにも感じる。今回は扉がないのはどういう意図なのかが気になる。暗幕・扉がないということは、入口からの光の影響もそうだが、体験する心構えのようなものが無くなり、観客を導く演出が少なくシンプルな見せ方になるのかな… 

會田千夏さんの絵にキャラクターなどの記号的なフォルムが入り込むチグハグ感は安直にも見えるけど、そういう異物感は作品の見応えの一つともとれる。膜が張ったような綺麗な画面なので、表面に付着している筆の毛が気になってもったいない。

杉山留美子さんは、心と脳天を突き抜ける風のような絵画群。ミニマムな事をやり続ける強さって観ていて気持ちがいい。

齋藤周さんの絵は、以前より風景と人の遠近感・大きさが強調された不思議な方向になって来ていた。また構図も縦横より斜めの導線が強い感じで、道が画面の外へ拡散しているようなイメージがあった。(道が続いているというより、道の幅や境界が広くなっていくような感じ…?) 東京での個展ではもうちょい四角い画面の下から上に構築されていくようなイメージが強かった印象。 これは普段観る風景が変わって来たということとリンクしているのだろうか。


(この展示はそういうのを目指してはいないけど) やさしさ、つまり癒しのアートってなんだろうなあと思う。
心をざわつかせる、はっとさせるのってある種の灰汁(アク)、作家のエゴ、暴力的な部分があるんだよな。

そういう部分を覆い隠すように、「きれいだねー」「うまいねー」という嘘をどう作家がついているか、というひねくれた部分が見れたら自分は自虐的で面白いと思うのかもしれないなあ。

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「レゴブロックワールドSAPPORO」

会期: 1月6日(金) ~ 15日(日)
会場: 北翔クロテック月寒ドーム(月寒東3条11丁目)
    9:00~16:30(前売り)大人800円



楽 し す ぎ る !!!

会場の中央で行われていた「ホワイトワールド」という白いブロックだけで街をつくるワークショップがなかなか感動的でよかった。やっている人も楽しいし、出来上がったものも良いし、仮設的だし、物量もあるんだからもう完璧でしょう。展示がアルバイト業者クオリティな感じだけど気にならない。

クジや戦利品は下の画像参照。

というか、レゴの歴史ブースを見ていたら、すごく自分の作品と似た部分があったりして、あきらかに影響を受けていることを再認識。今度からは、自分の作品を説明するときそう言いきってしまおうかな…(オイ)

クリエーターシリーズ、スターウォーズシリーズも好きなんだけど、
ここ最近出てきたアーキテクチャーシリーズもいいんだよなあ、渋くて。
http://architecture.lego.com/en-us/products/

帰りに札幌ドーム近くでスープカレーを食べて帰宅。
結局クジで当たった小物入れ(5等)はマスキングテープを入れることにした。

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by takuji0808 | 2012-01-12 23:20 | 展覧会感想
展覧会感想

「くだらない展覧会03」 CAI02

個々の作品の細かい感想は意味がない展示。
3回目で、馬鹿さのレベルが上がっている(褒めことば)とは思う。


しかし馬鹿なことをやるほど、そのぶん丁寧な仕事をできるかが肝だけど
いろんなアイデアを具現化するにはマルチな知識と技術が必要なんで、
そこらへんの突き抜け具合とか、展示の仕方とかは考えないとだめだろうな。

(「キャプション」がへたっているとか、白い木製パネルはなるべく無機質であるほうがいいとか、
ヘタウマではなく単純に下手な文字の塗り方とか、そういうどうでもいいことは排除するべきだ。)


この展覧会自体が芸森で行われたファノン展(上の世代のアーティストに対して)へのカウンターパンチ、悪ふざけを介した批評だとしたら面白いかもしれないけど、それは好意的すぎる意見か?

素人表現の魅力の一つである「妙な圧力・密度」、つまりそこだけとことんやっていたらいつの間にか突き抜けてしまった表現に立ち向かうには、アーティスト/素人という区分で逃げるのではなく、その差を見せつけないと意味がないだろう。

それはつまりアーティストとしてのフェチ(あるいは芯)はどこか、ということに近い。
前述のフィニッシュワークの精度や、自らを出す恥を振りきれるか、コンセプトの強度などなど…

宴会の一発芸のようなダジャレのような小物作品を均等に並べるか、そこら辺を追求してくれた展示のほうが見ごたえがあると思うんだけどなあ… (だからパフォーマンスは面白かった)

あと、「くだらない展覧会」というコンセプト自体は、トートロジーというか、循環論法のようなものなので、(思考が堂々巡りになる罠、内容の真偽はどうでもいいけど論理的に常に正しい) まじめに考えるだけ無駄になるというデュシャン的なものだと思う。

そこらへんも含めて「現代アートのパロディ」(のパロディ)という自虐として観れば、その開き直り具合は新人類として怒りを買ったり呆れられたりするだろうし、そのためにピエロのような役割を買って出ているキーボーに万歳拍手な展覧会だと思う。

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CAI 02 企画展「くだらない展覧会03」

<出品作家>

石倉美萌菜 井上愛美 菊地和広 古跡哲平 高橋喜代史 
Thomas Neumann (ドイツ)  Silvestru Alexandru Munteanu(ルーマニア)

会期 :2011年12月10日(土)~12月24日(土)
時間 :13:00~23:00
休館 :日曜祝日
会場 :CAI02 札幌市中央区大通西5丁目昭和ビルB2(地下鉄大通駅1番出口)
主催 :CAI現代芸術研究所
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by takuji0808 | 2011-12-12 12:25 | 展覧会感想

油展2011/針個展「memory」

「油展 2011」 コンチネンタルギャラリー

オープニングに顔を出す。
というか、街中の貸しギャラリーは大体18時までで、パーティーなどあるときじゃないといけないのだ。

額装の甘さが高校生レベルで、これを毎年言ってる気もする。
ってことはおそらく自分が学生の時もそういうことを思われていたんだろう。
(でも自分のことは棚に上げないと感想なんて言えない。)
何点か面白く、レベルの高い作品もあった。丁寧さに勝る魅力無し。

しかしどこか真面目というか、無難な印象。トリッキーさや、馬鹿さがすべてではないけど、課題提出と同じ意識のレベルで作品作ることに慣れちゃうと、そういう作品しか作れなくなる気がする。まあ大きなお世話か。

   ■

針 個展「memory」 Salon cojica
2011年12月3日(土)~12月17日(土)

おしゃれで線もきれい。
レベルの高いグルーミングアートという感じ。

グルーミングアートっていうのは、猫が毛づくろいするように自己陶酔するような(女子に多い)アートを指す、少し悪意のある言葉(マニアックな造語)なんだけど…

(会田誠が言っていたんだっけ…?)

ただ「グルーミング」には上記のような、セルフグルーミングもあるけど、社会的グルーミング(猿がお互い毛づくろいするような、身体的なコミュニケーションの意味)っていうのもあるんですよね。

個人的な仕事を突き詰めれば社会的な強度を持ったり癒しになるっていう2面性を含んだ良い言葉だと思うんだけどなー。 流行らないか・・・

ドローイングという軽やかかつ身体的な部分が強いので特にそう感じたのかなあ。

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by takuji0808 | 2011-12-08 20:18 | 展覧会感想
約1か月ぶりの休みに、車で展覧会巡り。
以下感想

●「表現するファノン」──サブカルチャーの表象たち 芸術の森美術館

この展示のことに関しては色々思うところがあるけれど、
お金も時間も無い中で、よくここまでしたなっていう色眼鏡はあるにせよ
(まあお金も時間もある展覧会なんぞありえないが) 基本的には面白かったです。

ただ、ファノン(素人アート、素人表現)は
カルチャーセンターなどからインターネットなどのコミュニティ内へと移り変わり
その絶対数が少し増えただけで、表現としての質が高まってはいないと思うな。
あくまでも身内受けというか。(まあ美術もそういう一面があるけどさ…)

市立大のブースの身内の理屈からくる展示の流れの中での必要の無さや、
サブカル系の弱点である展示のへたくそさがあったりして
学校祭かよ!!
「もの」として強い痛車、カスタムバイクなど、あるいは美術作品として
ちゃんと勝負しているものがよく見えるという本末転倒な状況に。

まあ、サブカルチャー・メインカルチャーの2項対立を基本として考えるのは
ネット社会になったからよい社会になるとか良い表現が出るとか
そういうくらいの幼稚な思考があるのかなあ。
(実際は、現場の人はそんなことわかっていつつ、札幌の偉い人たちの大人の事情があって
 サブカルチャーという言葉がでてしまって、みたいなことだろうとはおもうけど。)

合わせて、500m美術館のほうも観て思うことがあって
あれは箱としてみると、美術館ではなく、ショーウィンドウでしょう。

もちろんそこに美術作品が入るのはいいけど、
本来ならそこにはファノンが入るべき場所ではないだろうか。

美術館にファノン、街中のショーウィンドウにアートっていう逆転現象が
おこっていて、そういうジャンルの入れ替えがフレキシブルに起こると
それはおもしろいことが起こるかもしれないなあ。

あとは、初音ミクやアイドル論のことは、消費戦略でしかないので
アート・文化として語るのは難しいよね…

取り上げて欲しいイメージとして一番近いのは都築響一さんの仕事かも。
http://www.art-it.asia/u/admin_ed_contri8_j/


●井桁 雅臣『きっとどこにもない水』六花亭福住店2階喫茶室

軽やかで鮮やかな色面に相反して、どこかドロドロしていて
喫茶室に最適とは言い切れない内容だってことを観る人は気付かないかもしれない。

そういうアク、苦味がある、いい展示だった。


●武田浩志個展『Utopia MoMo-Iro 4』トオンカフェ

最新のポートレートシリーズの顔の部分が白く塗りつぶされていたり
隠されているのが面白かった。

武田さんの作品は強烈な表面性(工芸的な完成度・軽やかさ)が特徴のひとつだ。
それは今回の出てきたモチーフとしての「仮面」や、立体作品の「壁」に通じていると思う。

窓やドア、穴、トンネルのような、通じる・繋がるモチーフではなく
仮面や壁のような拒絶し・跳ね返すモチーフ・表現を選択していることと、
同時に届かない過去に手を伸ばすような郷愁感とのギャップが
作品に独特のバランスを獲得しているんだろうなあ、とおもう。

そういう相反するものを抱え込んでいる暴力的な部分が武田さんの作家としての性なんだろうなーとおもう。


その後、天気もいいうちに洗車。
ゼロウォーターとかいうコーティング剤を試す。

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by takuji0808 | 2011-11-24 22:46 | 展覧会感想

横浜トリエンナーレ雑記

横浜トリエンナーレ雑記

数少ない休みの合間を利用して横浜東京に行ってきた。

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[1日目] 10月4日

東京8時発のAIRDOで羽田空港へ。
羽田からバスで一路横浜に向かう。
晴れていて気持ちいい。

横浜美術館→BankART→新港ピア→黄金町バザールの順。

田中 功起のバランス力や、冨井 大裕のオファーの応え方。
クリスチャン・マークレーの圧倒的な「見れちゃう」レベルの高さ。
泉 太郎のとんちの効いた作品なんかが面白かった。

黄金町はオルタナティブな雰囲気満載。
しかしこういう場からスターが生まれる可能性は低そう。
(経験としてやった方がいいとはおもうけど)

全体としてソツがなく、かゆい所に手が届いているのは
回数こなしてきた強みだ。さて札幌では…?という感覚。


夜は大学の先輩の家へ。
ラーメン二郎に行こうとするも閉まっていて近くの適当な居酒屋でお酒を飲んだり。

近況や作品のことなどを話す。
結構偉そうにずけずけとしゃべった気もする…(ちょっと反省)

夜中になぜかお経が聞こえてくる相模大野ミステリー。
寝ぼけた頭で夢と現がマーブルになる。

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[2日目] 10月5日

東京の美術館・ギャラリー巡り。
あいにくの大雨。足を濡らしつつ移動しまくり。

・国立近代美術館「イケムラレイコ うつりゆくもの」・常設展
・国立新美術館「モダン・アート,アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―」展
・東京都現代美術館「ゼロ年代のベルリン」
・SNAC「Chim↑Pom SURVIVAL DANCE」
・小山登美夫ギャラリー「サイトウマコト 蜜が蜂を呼ぶように」など
・ギャラリー・ショウ「絵画の血統 -脳裏に記する絵画たち-」
・neutron tokyo「斎藤周 個展 内にある遥か」など


近代美術館の常設がしみじみ良かった。
前に観たっけ・・・?覚えてない。(オイ

Chim↑Pomはスキャンダラスな内容がネタとして扱われることが多いが、なんだかんだでプレゼン能力、展示構成力がレベル高いなあ。

絵画の血統で観た、イケムラレイコとリヒターのアブストラクトペインティング、バスキアのでかい作品3点がインパクトあって感動した。売れる絵のもってるパンチ力ってやっぱりすごいな。リヒターの絵画が初めてスっと入る気がする。(今まで見た中で一番良かった)


東京はちょうど都現美の常設も観れなかったし、ほかの展示も入れ替えの時期だったりして、なんだかぱっとしない感じだったかな。

今回はiphoneフル活用の旅で、快適だった。
使用したアプリはTokyoArtBeatと食べログあたりで、googleMapを併用。
電池切れが怖かったがなんとかもった。けどもうチョイ余裕が欲しいかな。

まあそういう活用ができても、体がついていかない!(泣)
運動不足がたたっているなあ。山登っていた頃とは見る影もない。
コーヒーブレイク必須っす。
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by takuji0808 | 2011-10-14 22:28 | 展覧会感想
ハルカヤマ藝術要塞・感想

ペインターの作品が、意外と環境との親和性が高かった。
特に、線や色などのシンプルな問題意識の場合のほうが、自然環境の複雑さに対応できている。

ミニマリズムからランドアートへの歴史の変遷を考えれば、実はそれは王道なのかもしれない。

となるとシンプルな(線や色の)問題意識を扱うぺインターこそ、作品の振り幅を持たせるためには、野外制作や壁画制作をやって、個人的に歴史を反復する経験をしたほうがいいのかもしれない。


逆に意外と親和性が低かったのはパブリックな場に対しての意識が強い出自の作家、大理石などの素材による彫刻作品で、どちらかというと異物感(奇妙なものが現れたような感覚)が強かった。

たぶん大理石とか台座の素材感が理由だとおもうが、その文脈を考えると、なんとなく納得。


そこらへんの逆転現象、というよりパブリックとネイチャー、公と私、外と内が今までに何往復かして、今この作品になったんだろうな(この作品がある)…ということそのものが面白い。


となると作品としては「ミニマムな問題を扱い、ささやかに空間に置く」ぺインタータイプか、「空間を作り替える」ガテン系インスタレーションタイプが良かったかな。(乱暴な感想だ…)

また個人的な経験として大学中に山に登っていた身としては、山や自然との関わり方、基本的な意識が美術の文脈とはまた違う部分がある。どうやったって暴力的に見えてしまうこの状況を、手放しで許容できない。

まとまらないが、とりあえずおしまい。

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by takuji0808 | 2011-09-30 22:50 | 展覧会感想
今回の山本さんの展示は、妙に喫茶空間にフィットしているなーという印象だった。

  ■

山本雄基 個展 『グレーゾーンが踊っている』
 4月1日(金)~4月30日(土)
 11:00~17:30(LO 17:00)
 六花亭福住店 2階喫茶室(飲食店内での展示)

  ■
HP
http://www.geocities.jp/yamamotopaintings/
BLOG
http://blog.livedoor.jp/route16turbo/

もともとあの空間自体がおしゃれなのが、作品によって格上げされていて、「絵を置く」ことのニーズにしっかりと応えている。その分、作品の批評、感想が出ずらいことになってしまった気がする。しかしこれはもう消費のされ方の問題なので、作家がどうこうできる問題でもないし、山本さんの興味はそこにはないはずだから割り切っていくしかないんだろう。

それは逆にいえば、ギャラリーのような守られた空間ではなく、CAI02のコンクリート壁など、どんなところに置いても絵は絵として見れる強度を持っている証拠でもある。そのレベルが高いからこそ、考えなくてはいけないことが色々出てくるのだとおもう。


作品に関しては、メインの6色の「ももいろクローバーセット」(命名・K坂)が良くなくて気になる。

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<あくまでも参考>

フィニッシュワーク、精度は非常に高いのに、なんでそうなってしまったのか。

おそらく、普通にギャラリーのような空間に並べて置いたとしてもなかなかピンとこない作品になっただろう。まあカラーチャートのような展示(本人いわくデミアンハースト)を試したかったというだけなのかもしれないが、そういう皮肉めいたことを作品の要素として取り入れると、直球に捉えられてしまう危険がある、ということだろう。

山本さんの作品の面白さは「絵画とは何か」をとことん直球勝負で行うことで批評性、社会に対しての皮肉めいた視点、絵画に対する懐疑的な視点を獲得していることなのだから、そこでこのような展示をやっては、ぐるっと回って元通り(直球)になってしまうんではないだろうか。

そこらへんの展示の狙いが宙ぶらりんになってしまった、ということなのだと思う。

一方で山本さんの作品スタイルは、色やニュアンスは無尽蔵にパターンを生産できるスタイルなのだから、このような展示もしてみたかった、というのも納得できる。だから、今後も色数を増やして増産すればいいんじゃないだろーか。


ともかく、山本さんの作品は、極端な大きさでいい気がする。
変に場所に合わせて逆算し絵のサイズを決めるより、小さくて良い作品をたくさん作ったほうが絶対売れると思うんだけどなあ。

絵画のニーズに対する返答、空間に対して画家として調和と異化のバランスを取りながら、どう応えるべきか、などを考えさせられる展示だった。

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by takuji0808 | 2011-05-02 16:50 | 展覧会感想
サッポロアートシンクロニシティ3

札幌ビエンナーレプレ企画

オープニングイベントも行ったが、改めて展示を観たくて行く。

例えるならコース料理というより、お通夜に出る仕出し弁当な展示。
全体的にライティングが暗かったせいもあるだろう。

(床が黒いせいもあるけど明るい空間をもっと意図的に作れたらバランスが良くなるかな。磯崎さんの作品がそれに当たるのかもしれないが。)

伊藤先生、磯崎さんの作品の面白さと、それに対する札幌ハプニング、のびアニキ、祭太郎のキャッチーでシニカルな雰囲気、パフォーマンスが対比として面白い。レクチャーは仕事のため行けないのが多かったけど、パフォーマンス系は全体的に面白かった。

作家の作品が、思惑を超えて比較され、会場全体に圧力をかけるのが作家の通すべき筋という意味ではプレビエンナーレが一番レベルが高かったとおもう。

全体を通して、伊藤隆介先生、のびアニキの作品が良かった。


トーチカの活動や義援金に関わる作品展が同時進行であって、じゃあ作家としては何をするべきかということを悶々と考えざるを得ない状況で、まあ作家それぞれにいろんなスタンスがあってもいいとは思うけど、自分が考えている方向とはなんだろう、というあたりを考えてしまう。
(ね、悶々としてるでしょ?)


展示の種類も内容も運営システムも異なる展覧会をまとめて批評すること自体、不思議なことなのに、それを同列に語りたくなるのはサッポロの特徴な気がする。

さまざまな価値観はフラットでいいのだけど、そのフラットな展覧会やイベントが乱立し、エネルギーが飽和状態になっていかないと面白い状況にはならないんだろう。

そういう意味で分母を増やしていかないといけないし、個人としてはそこでとび抜けないとやっている意味がないように思る。


「第三回 芸術討論会! 」4月8日(金)

結局、3時くらいまで参加。翌日はどんなに目薬をさしてもしょぽしょぽの眼。

幹男さんや森本さんの言う作家どうしが干渉・交流できなかった、という問題が、漆さんが言った作家としての立ち振る舞いとか突き通し方にリンクしたり、システムの話ばかりで飽き飽きした山本さんが場をいい意味でひっくり返すのはエキサイティングだった。

そういうスタンスが作家性(プロ意識)につながるっていう話で、それを共有できたのは良かった。


今回は地震という要因があるので、仮説性、場所性、刹那性、youtube的な表現、リアルタイムに関わる表現は作品が難しいな。

終わりなき日常ありき、幻想の公共ありきの作品は現実が揺り動かされている気がする。どちらにしろ、地震がきっかけで今後はエッジがきいた表現が増えていくきっかけになるのかもしれない。

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by takuji0808 | 2011-04-12 08:31 | 展覧会感想