日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

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オーディオ改

アトリエ用オーディオとしてPioneer PD-F25Aを購入。
25枚入れれるCDチェンジャー。これで作業中に手を止める必要が無くなる。

CD-R再生は対応してないらしいのだけど、再生した。
多分MP3かWAVには対応してないのかな?
入れてみてわかったけど25枚って結構な量だなあ。

で、それに合わせてアンプ付きスピーカーか、光デジタル入力端子付きのコンポが
欲しかったんだけど、今日ビッグカメラに行ってみたが、ピンとくるいいやつが無かった。

結局BOSE Companion2 seriesⅡを購入。
パソコン用だしまた使い道があるだろーと踏む。

もともと音にはそんなにこだわってないので、とりあえずこれでしばらくは大丈夫かな。

かなり邪道な使い方だろーからオーディオ好きには飽きられるかも。

オーディオ、スピーカーはディープな世界で、手をつけれずにいる。

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by takuji0808 | 2010-06-30 15:12 | つぶやき

ともかくかいておくこと

ともかくかいておくことは大切だと思う。
絵でも文章でも。

忘れてしまうことが怖い。


mixiの日記で「おれ今日もがんばったんだよお」みたいなことを書いていても
何にもならないことに気づいたので、ほかの人のを見るか、
アプリで時間をつぶすか、情報を仕入れるか、くらいに気持ちを切り替えたら楽です。

というか一応アーチスト目指している人間がmixiで身内くらいしか呼んでいない場所で
「すごいねー」「がんばってねー」とか言われてとりあえず満足するってどうなの?
とかも思ったりして。

まあ、それはそれで悪だとは言わないけど。


話を戻しますが、半分趣味でイラレで描いていた画像がそろそろ50枚に到達です。
がんばればもっとハイペースでかけるかもしれませんが、どうしようかな。

大学2年生頃にやっていたドローイングのデジタルバージョンという感覚です。
思い描いたビジュアルがすぐ作れるので結構、性に合っています。

看板とか、チラシとか、眼に焼きついたイメージを改めて可視化することや、
デジタルの中での偶然性や確実な構成力をものにする訓練としては最適な感じです。

夏に向けて準備を着々と進めないとなあ。

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by takuji0808 | 2010-06-27 22:30 | つぶやき

購入 06/20-

CDと本を買った。
Amazonとブックオフ。

「Eclectric」Svoy
「ハイファイ新書」相対性理論
「ザ・バード&ザ・ビー」ザ・バード&ザ・ビー
「There Is Love in You」Four Tet
「It Runs in the Family」Anderson

「思想地図〈vol.5〉特集・社会の批評(NHKブックス別巻) 」東 浩紀, et al
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド(上下)」村上春樹

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by takuji0808 | 2010-06-23 19:53 | 購入

制作 06/16-18

・制作
ずーっとコラージュ。
完成度を上げる、というよりも、隙間を埋めたり、新しい隙間を作っていくイメージ。
作業の中で大きな変化があるわけではないので、毎日ブログに書くこともない感じ。

まあ、今作っている作品がベストではないだろうな、
なんて思いながら淡々と作業。

徐々に変わっていく。自分のものではなくなっていく感覚。いい感じ。

作りながら新しいアイデアを思いつく。
それは信じたくなるけど、突っ走り過ぎるとおかしなことになるのはわかっている。
まずは目の前のやつだ。

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by takuji0808 | 2010-06-19 08:53 | つぶやき

仮想敵の不在

「仮想敵の不在」

かつてはこの社会には、様々な敵対関係、二極化した、
わかりやすい対立構造がありました。

対西洋、反体制、対アメリカ(資本主義)、対東京…
いま、そのような仮想敵(ラスボス、ジブリでいうとムスカ)は存在しません。

仮想敵の存在は、作品(物語)の強度を補完し、
作家(主人公)のモチベーションを引き上げます。

既存の体制(物語)が崩壊し、新たな価値観を垂れ流されている今、
敵対関係は存在しないどころか、すべてのものが消費されていきます。

かつての仮想敵に匹敵するような、作品の強度を補完し、モチベーションを
保ってくれる新しい存在が必要ではないだろうか、と思います。

それはゆるく言えばルールや縛り、ジャンルのことですし、アーキテクチャ(仕組み)でしょうし、
あるいは消費を取り入れた刹那的な団体戦ですし、あるいはそれ以外のものです。

作品の強度を保つためには様々な縛りを変動させていく(OSをアップデートしていくような)
感覚が必要ではないかと思います。

(そうでないと、精神的に腐っていくような現代のアート病というか
 結局ゴッホやゴーギャンと同じ結末になってしまいそうで怖い。
 ピカソは女をとっかえひっかえでその強度を保っていたような気もする。)

また日常の個人的なリアリティだけを手がかりに、普遍化した作品をつくる方向を試みることで、
社会的に何かを得ることは、諦めなさと奇跡のバランス力が必要だ。

(自分の敵は自分、逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…の限界)

そのような細分化させ、微意の強調にしかならない新たなミニマリズムを開発する、
ある種の「ハンティング」は、そのモンスター(方法論)を捕まえられるかどうかもわかりませんし、
捕まえたとしてもレアなやつかもわからないですし、消費、リサイクルを待つだけの運命です。

一点突破の強度をもつ作品を作るにはモンスターを単純にたまごっち的に育成するのではなく、
捕まえたやつらを交配させるイメージが必要だと思います。これもある種のハイブリッド化だと思います。


まあそんなことを考えながら制作してますーって話でした。
まったくまとまっていませんが、キリがないのでとりあえず終わります。

べつのことを考えだしたらまた書きます。


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by takuji0808 | 2010-06-13 15:03 | つぶやき

制作 06/11-12

制作
コラージュ。
完成度を高めたり、崩したりを繰り返す。
ここから意外と時間がかかる。

同時進行で小さなコラージュ作品(キュートなやつ)も作ることにする。
おっこれは楽しいぞ。増やすかな。

しかしコラージュをやると、どんどんアトリエが汚くなるのが難点だな。
木工ボンドの指でちねちねしたゴミとか。

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by takuji0808 | 2010-06-13 09:47 | 制作
「アートのハイブリット性の具現化」

話が少しズレてきましたので、少しずつ戻しましょう。
では結局何がアート作品のハイブリッド化なのか?ということを書こうと思いますが
あらかじめ宣言しておきます。結論などありません!!

直感的に、希望を感じる言葉を、後付けで輪郭をつけているに過ぎないかもしれません。

自分は色んな作風を持ちたいと思っているところがあります。
根底に流れる部分に共通するものがあるとは思いますが、マルチタスクな作業が多いです。

そのような様々な作風、考えを混在させた、統合した、つまり自身の作風をも
ハイブリットさせた世界の縮図を作っていきたい欲望が、沸々と湧いてきました。

そういうこともあって、考えるようになったのです。


さてアートのハイブリット性を実現するには以前、記事で書いた
アートの成分を分類したものそれぞれを高いレベルで行う、というのが基本です。

①「自分」を高める。
②「自分以外の世界」に対しての考えを深める。
③「時間」を常に意識する。
④「その他」


これだけだと単なる自己満足の精神論でなんだか自己啓発みたいな
感じになってしまいそうなので、もうちょっと具体的に書きましょう。

①自身の経験を積み重ねて、今、ここで、自分が作るべき意味を常に考え、
 多角的な視点をもち、実現させるためのさまざまなスキルアップを計る。

②時代のニーズ(市場や無意識に求められているもの)に応えれるように、
 ある種批評的な、市場主義な、時代性を切り取った作品になるような多次元性を持たせる。
(≒個人的なリアリティであればより良い)

③歴史や移動、普遍性、美というテーマ、作品の保存をどう考えるかなどの
 時間軸が関わるものを意識する。

④その他

といったところでしょうか。


で、実はこの④のその他の部分が意外と重要だなーと、おもいます。

ここで一番考えなくてはいけないのは枠(フレーム)、型(様式美)のような
「縛り」ではないでしょうか。

この縛りをジャンルと考えれば、制作方法が絞られ、そこからいかに逸脱するか、
あるいは拡張していくか、どこを研ぎ澄ませて行くべきかを考えなくてはいけません。

そのルールが自分で決めた(決められた)プライベートなものであったり
社会的に、構造的に決まったパブリックなものであったりいろんな種類があるわけです。

そのルールを熟知して、あるいは操り、あるいは新たに自分で作り、
作品を作っていかなくてはいけないわけです。

なぜそんなことを重要視しないといけないのか-というのも、
仮想敵の不在が大きな問題だと思っているからです。

つづく
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by takuji0808 | 2010-06-11 22:15 | つぶやき

制作 06/08-10

コラージュをやっている。
ただただ貼っていく作業。

今回は支持体というものを使わず、貼り合わせていくことにしたのだが
床の色も混じって見えるので、どうしても壁に掛けたい衝動に襲われた。

なんとか工夫し持ち上げ、壁に画鋲で貼り付ける。
作品が意外と小さいことに愕然とするが、
まだまだやれることも見えてヨシヨシ、なんて思う。

そしてそのまま貼り合わせる作業を続行していたら、
木工ボンドの重さが効いたのか、紙が力の臨界点を超えて、
紙が破れ端からゆっくりと落ちていった。

少々慌てるけれど、俺は一体何をやっているんだろうなーと思い、ニヤけてしまった。

コラージュはいい。意味なんて無いのだから。

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by takuji0808 | 2010-06-10 10:31 | 制作

コラボレーションの限界

「コラボレーションの限界」

では前回の記事を踏まえて、アートのハイブリッド化とはなにかを考えてみる前に、
似たような意味でコラボレーションという言葉についても考えてみたいと思います。
同じカタカナだしネ!(←冗談です、面白くないか・・・)


<意味>
※ハイブリッド(英: Hybrid)
 …2つ(またはそれ以上)の異質のものを組み合わせ一つの目的を成すもの、雑種。

※コラボレーション(英: collaboration)
 …共に働く、協力するの意味。共演、合作、共同作業、利的協力を指す言葉。


一つの作品(状況)を作る時に、単なる組み合わせの妙を
ハイブリッドと言ってしまうのはいけないわけです。
それはハイブリッドというよりコラボレーションでしかないですから。

わかりやすいのはアートと他のジャンルを組み合わせることでしょう。
巷であふれている、「アートほにゃらら」みたいな名称のやつですね。
なぜそれがハイブリッドではないのか2つ理由があります。

①何でもありなアートというジャンルの柔軟性からは補強程度の役割しか生まなく
 アートという領域の凡庸な拡張に過ぎないから。

②組み合わせの面白さ(≒コラボレーション)は非常に短い期間で
 消費される運命にあるから。


※しかし、消費されることを前提にした素晴らしい作品もあることは忘れてはいけないです。
(明和電機などがわかりやすいです。)

また企画、イベントとして考えるならば、コラボレーション的企画は見栄えが良いですし、
目的にあわせてアートという曖昧さを有効活用するのはいいことだと思います。

同じような理由で、アートの中のジャンルを単純に組み合わせることもハイブリッドとは言えないです。

ここは大いに異なるので書いておきます。

さて、では結局何がハイブリッドなんだ?ということを次は書きましょうかね。
つづく。
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by takuji0808 | 2010-06-09 19:27 | つぶやき
「仮面ライダーWのハイブリッド性」

さて、まずなんで自分が「ハイブリッド!!」なんてことを言い出したのか、
という話をしておきましょう。

きっかけは「仮面ライダーW」でした。

私は「仮面ライダーW」を温故知新という平成仮面ライダーの伝統にキッチリとハマった、
エンターテイメント性の強いハイブリッドライダーだと考えたました。

そこから、またどんどん考えていくと、アートと結びつく部分を見つけたので
こりゃあ考えな、いかんぜよ! と龍馬風におもったわけです。


平成仮面ライダーの伝統とは何か?という話からしましょう。

必ずあるのがおもちゃ会社・スポンサーからの縛りです。

今回それはUSBメモリ、またはパソコンでしょう。
その他にもネットワーク社会のメタファーがちりばめられています。
これは子供に受けるような現代的なモチーフともいえます。


伝統の一つである平成仮面ライダーからの必殺技やストーリーなどの様式美を
しっかりと継承している印象も強いです。
まあこれは平成仮面ライダーのノウハウがしっかりしているということでしょう。


また昭和仮面ライダーの設定に対するオマージュがそこらじゅうに見えることも
平成仮面ライダーの伝統であることは言っておかなくてはいけません。

仮面ライダーWでいえば、1号2号ライダー=ダブルライダー、V3=アクセル。
翔太郎=石ノ森章太郎サイクロン=1号のバイクの名前であり変身する動力源・・・などなど。


つまりこのような、平成仮面ライダーのミニマリズムと、昭和仮面ライダーの古き良き時代の表面的なトレースが
ハイブリッド化され、洗練されたものが「仮面ライダーW」ではないだろうか、と考えたのです。


全体性を放棄し、断片の過剰なコラボレーションが前作「仮面ライダーディケイド」でした。
仮面ライダーWでは作品の強度を確保するために、そこで失われた(破壊された)全体性=ストーリーの復権や、
設定の整合性を補完する為の、様々な趣向が凝らされています。

そのひとつが主要登場人物のキャラクターとも一致する、時代性のハイブリッド化ではないだろうか、
と思い立ったわけです。

ハイブリッド化(=雑種性、完成度の高い要素の合体)は、
むしろ日本のクリエイティブな想像力の伝統的本流であることは明記しておかなくてはいけません。


主要登場人物がおやっさん=昭和、翔太郎=90年代、フィリップ=平成として
それらの人物がメモリ、ドライバなどというツールを用いてコミュニケーションをとり、一体化するということは、
現代社会(ネット社会)のメタファーであることは間違いないでしょう。

①おやっさん=昭和
(石ノ森イズム、昭和仮面ライダー、古き良きハードボイルト、アナログ、ロストドライバーという名称、スカルライダー)
②翔太郎=90年代
(失われた仮面ライダー年代、ダサさ、昭和の系譜、インターネットの導入、不殺、島宇宙の守護)
③フィリップ=平成
(ハイテク、デジタル、パソコン、万能性、人間的欠陥、ネットでのコミュニケーション、家族の喪失から疑似家族へ)

それら時代性の断片を一体(ハイブリッド)化している構造は、
子供とその親のニーズに応え、同時に作品の強度も補完し、
ヒットしているという素晴らしい戦略!と思ったわけです。

ただし、最終回に向けてストーリーがどのように動くか、
どのような結末になるかによってまた考えたいと思っています。

で次回は話の筋がまた端にズレますが「コラボレーションの限界」について
書きたいとおもいます。
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by takuji0808 | 2010-06-07 20:23 | つぶやき