日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

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やま、的なモノのもつ想像力の考察

ランダムに見えるが、何か法則のもとに集まり、うずたかくなる。

身体性、あるいは日常、機能、人間が集まり、塊となる。
またはモダニズムや工業、資本主義、消費社会の死体(抜け殻・ゴミ)が積み重なったものである。

ある種の仮説性と、凹凸の関係性がありながら、独立していく。

長い目で見れば、すべてがランドアート的であり、空間を変異させる力を持っている。

結果的に、畏怖の対象として増殖と風化の両義性を抱えていく。

「やま」が人間社会や集合知、コミュニティ、人生のメタファーならば、それをみるということは、自分自身(やその周り)を客観視することであり、それに絶望し、未来を積み重ねることに希望を持つということでもある。

(2012/04/28 追記)

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by takuji0808 | 2012-04-27 23:48 | つぶやき
さて、続きです。

<ギャラリーB (3階)>

●小林麻美
メタ鑑賞構造絵画。絵の中の物語がループしている合わせ鏡のような印象。

個人個人の小さな物語を語るだけではなく、それをどのようなレイヤーで、構造で、もっと言えば「構図」と「空間作り」で見せるかに、今展示で最も意識が強い作家かもしれない。複雑な入れ子構造を、膜1枚通すことであえて単純にして(芯を通して)絵画にしているのは、実は結構すごい発明だとおもう。

絵の構造が強調されているのは、樽前artyや乙姫の展示よりすっきりしているからだろう。変な展示をしたがる(絵の外の構造にも気持ちが引きづられてしまう)のは小林さんの性癖みたいなものだったのかもしれない。

例えるなら、生春巻き。

●西田卓司
*省略 誰か書いてください

●末次弘明
問題意識としてはかなりシンプルで、アプローチは笠見さんと似ている。メンバーのなかでは、ちょうど中堅の世代。

展示中に、作品の高さで絵の印象が全く変わっていたのが記憶に残っている。形態や色彩、思考などさまざまな要素がプレーンな絵だとおもう。形や色彩、モチーフなどがどこから来たのか読みづらいのもそう感じる一因なのかも。そういう意味では、展示中、一番自由さを持った絵画だったのかもしれない。自分の立ち位置を読むことや、制作と距離感、作品のドライな感じは共感できる部分が多いが、同時に読む解けない部分もあってそれは微妙なジェネレーションギャップなのか、地域差なのかはよくわからない。

例えるなら、ポタージュスープ。

●大井敏恭
一番年代が離れている大井さんと自分の絵が似ているのが面白かった。構造やレイヤーに頼らずに強い絵画を描けているのが改めて凄いと思う。

若手は世代的な共感ではなく、カリフォルニアの地域的な感覚に共感している可能性もあるのかもしれない。(グローカルの輸入時間差ってあるかもしれないな。)

郊外的な感覚(中央に対するコンプレックス・疎外感・時代に対する焦燥感)っていうのは別に固有のものではなく、むしろ主流であり、モダンなものだとしたら、大井さんの作品はその問題(ローカルな絵画こそ実は主流であること)を真っ向から引き受けている作品だろう。

例えるなら、郊外一軒屋レストランのランチプレート。

●林亨
正直にいうと、林さんの作品が一番感想を書きにくい。とっかかりが少ないように思えるし、とっかかりがありすぎて何から言えばいいのかとも言える。(もちろんそれは善し悪しではないです、自分のセンサーに引っかからないだけかもしれないし。)そこに末次さんのプレーンさとも似ているのだけど、また違う林さんのスタンスが見え隠れしている気がする。

レイヤー構造にも見えるし、具象画にも見えるし、森林はドライにもウェットにも見えるし…というようなことの考えが行ったり来たりしてしまうのだ。

例えるなら、温野菜サラダ

●谷口明志
空間に対する線、支持体に対する線というシンプルなコンセプトの作品。このシンプルさは、下手に環境やら構造やら絵画史を考えてしまうことに対して有無を言わさない強みがある。

リキテンシュタインの筆跡絵画や、アンディ・ゴルズワージーとの比較で、より面白くなる作品だとも思う。

例えるなら、もりそば。

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全体を通しての感想は、内部からだと展示や運営のことなど含め、客観的に論じれない部分が多いのでしません。とりあえず、おしまーい。
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by takuji0808 | 2012-04-18 16:55 | 展覧会感想
「絵画の場合ー最終章ー」感想
(2012年3月14日~2012年4月1日 )

個人個人の作品の感想・批評を書いているブログが一つも見当たらないという悲しい現実に愚痴っていても仕方が無いので、もう自分でやるしかないでしょう、こんちくしょうめ。
(というか自分より笠見さんとか山本さんのほうが思想オタク・絵画オタクだからよりレベルの高い感想が書けるとおもうのだけど…グチグチ…)

*鑑賞した順番です (敬称略)

<ギャラリーA (1階)>

●笠見康大
メンバーのなかで一番身体的な作品なのかな、というのが第1印象だったが、いまはちょっと違い、一番「感情的な」作品だと思っている。それは情動と情念と感情の間を身体を介して絵画にしているように感じるからだ。(*情動とは,身体的なものにまで影響を及ぼすような強い感受的状態のことである。これに対して情念とは,情動がさらに強まって永続化し,われわれの生の自然の流れがせきとめられて苦悩にさらされている状態である。そしてさらに感情とは,統御され自覚された情念のことである。)ざっくり言えば感情論の可視化だろうか。

しかしほぼ毎日描くことで手癖や方法がパターン化していくような状況や、紙のサイズや筆の大きさ、絵の具の種類によってベストな方向に向かってしまう本能的な部分をポジティブに受け止めて、いっこいっこ片付けているようだ。そういう画家の体内時計(世間とは違うスピードで流れる制作過程)をみると、等身大の人生の切り開き方(それができるかどうかはさておき)を見ているようで勇気づけられもするし、これでいいのかなと不安になったりもする。

ストロークやグラデーションの面に、紙をこすったような、かすれた表現が混じっていったキネティックな感じのドローイングが新鮮だった。

例えるなら、混ぜご飯おにぎりとちらし寿司。

●澁谷俊彦
近作で行っているのは、反射光と場との関わり方と言い切れるだろう。となると、変な場所であればあるほど作品はその場所に合わせ、あるいは状況が想像を超えていく多弁さを持つ可能性がある。だから春香山やモエレ沼のような過酷な、それこそ人の来ないような場所での仮説的な、記録のみでの展示を見てみたいとも思う。

デザイナーとして、もっとはっきり言えばウインドウディスプレーヤーのような感覚で、ニーズに応える割り切りがあっても良い気がする。というのも、今回の展示の場所は、澁谷さんの作品はランドマークの役割が大きかったと思うのだが、その役割を果たしているとは言いがたいからだ。しかしアーティストとしては、風や雪など色んな要素を取り入れている貪欲さが前に出ている時期なのかもしれないので、今後作品を絞り込んでいかなくては行けない時期にどのように変容するのかが楽しみとも言える。

例えるなら、公園で食べる幕の内弁当。

●山本雄基
今展示で、狡い方法で(笑)作った最大サイズの作品と最小サイズの作品。皆が言っている「今後の展開が楽しみ」が結構この作品を言い当てている気がする。もうこのサイズでこの作品を発表してしまっては、丸以外の幾何学形態(直線)のみを用いた、従来のようなサイズの作品を見てみたいというのが、鑑賞した人の要望になってしまうのではないだろうか。丸シリーズ、三角シリーズ、四角シリーズ…みたいな

しかしこのサイズでしか新しい方法を提示できなかったというのは、逆に面白く感じる。もっと、コントロールできる適度な大きさで作ることも可能だったはずなのに、「大きさ・数」という過剰さを選択したという嗅覚は今の時代的なものなのかもしれないし単なるこの展覧会だけの意地なのかもしれない。しかし落ち着いた色彩や手仕事感を無くしている感覚は、それとは相反している。つまり山本さんの子供の頃の記憶やモダニズム・絵画史(80年代的なもの)と、リアルタイムにある感覚・山本さんの身体性(00年代〜10年代的なもの)の、そういう両義性をどういうバランスで提示するかが作品の肝となる気がする。

例えるなら、和風クリスピーピザ。

●武田浩志
アーティストトークでは「ポートレートシリーズの解体過程」を展示した、と言っていた気がするが、展示はそれに尽きるだろう。

近作の印象としては、ノイズの作り方・使い方の上手さが目を引いた。時間的な問題(短い製作期間)を逆手に取って、ズレや剥がれ、泡、傷のような本来良しとされないテクスチャーを積極的に作品に取り入れているので、技術的な部分での制球力、防御率の高さはダルビッシュ並みなことを再認識した。

同時に、そういうライブ感、野獣的な部分は在学中の作品との共通点もあるようで、前述の「ポートレートの解体」という意味合いとリンクして興味深い過程だとおもう。

例えるなら、デパ地下スイーツセット。

<続く>
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by takuji0808 | 2012-04-18 16:38 | 展覧会感想

お礼と個人的な感想

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まず遅れましたが、お礼申し上げます。

「絵画の場合ー最終章ー」にお越しいただき、あるいはご感想いただき、ありがとうございます。

細かい部分については随時補足して書いていければ良いかと思っていますが、そういうことではなく、全く個人的な感想をいくつか言わせていただきます。

単純に、大学の先輩に囲まれていいんだか悪いんだかよくわからない環境の中での展示でした。
(相対化できる環境とも言えるし、甘えて依存しているような環境とも言える。自立してかなきゃな。)

そして話をいただいたときから、「経験値の違いをどう埋めることができるのか、どう差別化できるか」をずっと考えていたような気がします。そしてその方向を、自分語りの範疇を超えるようなかたちで(きちんとアートの問題・歴史と向き合う形で)舵を切ったことが、功を奏した気がします。もちろん、作品としてまだまだ詰めれるところ、甘いところもあります。しかし同時に、作品の大きさやインパクト、作品の見せ方でかなり力技でやっていくことにしたので、そのあたりのバランスは良かったのかもしれません。

あと制作中ずっと考えていたのは「過剰さ」と「コントラスト」です。
イメージ作りというか、イメージコントロールというか… みたことの無いもの、ビジュアルをどう作るのか、あるいはみたことのあるものをどうコラージュするかということはずっと考えてきました。その強さ、面白さを高めるために、作品の構造・見せ方・空間の作り方をかなり再編しました。持っている材料・方法は変わらないですが、組み合わせ方と研ぎすませ方をしぼった、という感じでしょうか。

まだまだ言語化できないものも多いですが、作品で返答できれば、と思います。

で、5月に500m美術館での展示があり、インスタレーションのみの予定でしたが、壁も頂いたので今回展示した作品、その前に制作した作品、新作も含め展示する予定です。展示場所も変なところですし、インスタレーションと並べたり、また全然違う見え方になるかと思います。 怖いけど楽しみです。

今後ともよろしくお願いいたします。
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by takuji0808 | 2012-04-15 22:40 | つぶやき