「日常の冒険」終了と感想
2012年 08月 01日
500m美術館「日常の冒険」が無事終了しました。
何の反応もありませんが(そしてそれはいつものことですが)おそらく、普段美術館に行かないような人も、行くような人も、多くの人に自分の作品を見てもらうことが出来ました。
お話を頂いたこと、展示や片付けを手伝ってくれたこと、観ていただいたこと、ただただ多謝、多謝でございます。本当にありがとうございます。
久しぶりのインスタレーションは、課題を残しつつも、また新しい展開を考えることが出来るものになったと思います。今後機会を作り、あるいは機会があれば、また違う形で発展させていければとおもいます。乞うご期待。
(反省点は多々あるのですが言い出すと言い訳っぽい文章になってしまうので割愛…)
平面作品は「絵画の場合ー最終章ー」で展示したものと、それ以前に制作し発表していなかったもの、そして新作を展示しました。こちらの方はやりたいことがはっきりしており、様々なバリエーションがあることも相まって非情に分かりやすいスッキリした展示になったと思います。
さて、いくつか思ったことを。
1 作品の説明
作品の説明、作家の略歴などが記載されたキャプションがあるのですが、その作家の説明文は作家本人が書くのはやめた方がいいのでは、と思います。もちろん、作家が自分の作品を説明すること自体を否定する訳ではありません。しかし、作家が自分の作品を語るとき、ポエティックな文章になったり、自分や美術コミュニティにしか分からない文脈や言葉を使ってしまうことが多々あります。あのような場所で作品を説明するためには、全ての作品を通し展覧会のコンセプトに即して、非情に分かりやすい言葉を用いなければいけないわけですので。
まあ、「作家の言葉」にプラスして、作品の分かりやすい説明、作品の見方なんかのキャプションをつける、という手もありますけどね。
2 作品の公共性・公共の作品
搬入中、子供が平面作品をベターっと触って歩いていたりしていました。まあ子供は馬鹿だから仕方ないとしても、それを何の注意をしない親はもっと馬鹿。対策として「作品にはお手を触れないでください」キャプションをつけて、まあ、よし、と思っていたら搬出のとき、こんなものを見つけました。
タバコの灰を押し付けた跡が。
ついで、インスタレーションの中に、紙パックのゴミが。
(上部の隙間から投げ入れたらしい…)
無意識の悪意が、ただただ悲しい。
公共性を得るということは同時に、その中の数少ない悪意を引き受けることでもある。
それは「市民」とくくることの歪さであり、美術を観るリテラシー・マナーの無さでもある。(美術というより、公共の場でのマナーの無さもある。)
あるいは俺の作品は灰皿か、ゴミ箱ってことだ。ある人たちにとっては、電柱と変わらないのだ。
アート・文化うんぬん言うのはかまわないが、実害を被るのは作家なのだから、こういうこともあるってことを声を大にして言うべきである。
何の反応もありませんが(そしてそれはいつものことですが)おそらく、普段美術館に行かないような人も、行くような人も、多くの人に自分の作品を見てもらうことが出来ました。
お話を頂いたこと、展示や片付けを手伝ってくれたこと、観ていただいたこと、ただただ多謝、多謝でございます。本当にありがとうございます。
久しぶりのインスタレーションは、課題を残しつつも、また新しい展開を考えることが出来るものになったと思います。今後機会を作り、あるいは機会があれば、また違う形で発展させていければとおもいます。乞うご期待。
(反省点は多々あるのですが言い出すと言い訳っぽい文章になってしまうので割愛…)
平面作品は「絵画の場合ー最終章ー」で展示したものと、それ以前に制作し発表していなかったもの、そして新作を展示しました。こちらの方はやりたいことがはっきりしており、様々なバリエーションがあることも相まって非情に分かりやすいスッキリした展示になったと思います。
さて、いくつか思ったことを。
1 作品の説明
作品の説明、作家の略歴などが記載されたキャプションがあるのですが、その作家の説明文は作家本人が書くのはやめた方がいいのでは、と思います。もちろん、作家が自分の作品を説明すること自体を否定する訳ではありません。しかし、作家が自分の作品を語るとき、ポエティックな文章になったり、自分や美術コミュニティにしか分からない文脈や言葉を使ってしまうことが多々あります。あのような場所で作品を説明するためには、全ての作品を通し展覧会のコンセプトに即して、非情に分かりやすい言葉を用いなければいけないわけですので。
まあ、「作家の言葉」にプラスして、作品の分かりやすい説明、作品の見方なんかのキャプションをつける、という手もありますけどね。
2 作品の公共性・公共の作品
搬入中、子供が平面作品をベターっと触って歩いていたりしていました。まあ子供は馬鹿だから仕方ないとしても、それを何の注意をしない親はもっと馬鹿。対策として「作品にはお手を触れないでください」キャプションをつけて、まあ、よし、と思っていたら搬出のとき、こんなものを見つけました。
タバコの灰を押し付けた跡が。
ついで、インスタレーションの中に、紙パックのゴミが。
(上部の隙間から投げ入れたらしい…)
無意識の悪意が、ただただ悲しい。
公共性を得るということは同時に、その中の数少ない悪意を引き受けることでもある。
それは「市民」とくくることの歪さであり、美術を観るリテラシー・マナーの無さでもある。(美術というより、公共の場でのマナーの無さもある。)
あるいは俺の作品は灰皿か、ゴミ箱ってことだ。ある人たちにとっては、電柱と変わらないのだ。
アート・文化うんぬん言うのはかまわないが、実害を被るのは作家なのだから、こういうこともあるってことを声を大にして言うべきである。
by takuji0808
| 2012-08-01 01:27
| 展覧会感想