東京(3/25〜26)
2014年 04月 05日
東京に行ってきました。
バニラエアにしましたが、CAの制服がサンダーバードみたいだなーとおもって見ていました。
おばかな感想ですね。今回はずっとこんな感じです。
<1日目>
『VOCA 2014 現代美術の展望―新しい平面の作家たち』
上野の森美術館
『MOTアニュアル2014 フラグメント―未完のはじまり』
『驚くべきリアル:スペイン、ラテンアメリカの現代アート―MUSACコレクション』
東京都現代美術館
『金氏徹平 フライド幽霊とボイルド空想』
シュウゴアーツ
『武田陽介 Stay Gold』
タカ・イシイギャラリー
成田空港着のため、そのまま上野の『VOCA 2014』へ。
ふーむ。入賞作品はイラストっぽいというか、ピンとこないなあ。
作家別の作品のレベルとか傾向というより、保守的・体制的というかVOCAのシステムがメタボリックになっている感じなんだろうか。
山本さんの最大最厚作品は気合い十分で迫力あってここ最近のなかでは代表作品だろう。
絵画の大きさという難しさがシステム化と、手工業的な技術に裏打ちされている感じ。
これだけ色を使うことに対してバリエーションがあるのはうらやましい。
東京都現代美術館へ。
青田真也作品が好み。(単純にプラスチックをヤスリがけしているからか 笑)
パラモデル、金氏徹平、その前だとヤノベケンジの作品に共通する部分を何となく考える。
森美術館がこの日に限って17時クローズ。(いつもは22時まで)
とりあえず浅草をぶらぶら。モツ煮とビールで孤独のグルメごっこ。
<2日目>
『アンディ・ウォーホル展:永遠の15分』
森美術館
『ラファエル前派展』
森アーツセンターギャラリー
『イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる』
『中村一美展』
国立新美術館
東京行きの決定打、ウォーホル作品群。
デザイナー時代からの再現への固執、線と面の関係性が軽やかに入れ替わる流れ、作品の中にある人間臭さ、メインストリームにのしあがること、世俗とコンテクストに自身を寄せていく意味など、語りたいことや考えたいことがたくさんだ。でも観賞後は身体をスッと通り抜けていくような喉越しが心地よい。
これだけ表面的で軽やかで多弁でセンスがあって、謎を楽しめる作家はいないと思う。
もちろん、そんな軽さだけではなく、斜に構え過ぎてこちらが混乱してしまうような現代美術の面白さに、何かを突きつけられる想いだ。
ラファエル前派は、ミレイの『オフィーリア』(1851-52)はもちろん一級品のオーラがムンムンでよかったのだが、その近くに展示していた『マリアナ』(1851-52)にキュンときた。
ステンドグラス部分が、透明度の高い絵具で描かれていて、それがまたいい。
全体的に、細密な自然描写とか日本人好みって感じがする。
逆説なんだけど、フラットな下地と自然描写が水彩画や日本画を連想させるからだろうか。
国立新美の中村一美展はゲップがでるほど絵画ラッシュ。
あのジャムみたいな絵の具ってなんのメディウム使っているんだろう…
巨人が絵の具を繊細に塗りたくっているようにも見える…
そんな近景遠景を行き来しながら絵画空間を堪能する。
絵画を突きつめればその分、言語化すること、批評することの難しさを感じるなあ。
しかし国立新美は本当にスケールの大きい絵画作品の展示に向いている空間なんだなー。
あと単純に思った(確認した)のは、手慰みな自己満足・自己陶酔なゲンダイビジュツな作品をちまちま作っていても、それは目先の仕事でしかない。もっと大きくて長くて苦しくて、わけのかからないものに賭けることでしか得られないことっていうのは確実にある。
ここまで行かなくとも、絵画をやっていって50歳とか60歳で美術館で個展をやるとことを考えたら、今のうちに大きな代表作を複数作っておかなきゃ意味ないんだな。
うーん、うーんとうなりながら帰ろうとしたら、成田空港への列車が運休状態。
乗り換えアプリでさくさく検索し問題なく帰宅。そうiphoneならね。
バニラエアにしましたが、CAの制服がサンダーバードみたいだなーとおもって見ていました。
おばかな感想ですね。今回はずっとこんな感じです。
<1日目>
『VOCA 2014 現代美術の展望―新しい平面の作家たち』
上野の森美術館
『MOTアニュアル2014 フラグメント―未完のはじまり』
『驚くべきリアル:スペイン、ラテンアメリカの現代アート―MUSACコレクション』
東京都現代美術館
『金氏徹平 フライド幽霊とボイルド空想』
シュウゴアーツ
『武田陽介 Stay Gold』
タカ・イシイギャラリー
成田空港着のため、そのまま上野の『VOCA 2014』へ。
ふーむ。入賞作品はイラストっぽいというか、ピンとこないなあ。
作家別の作品のレベルとか傾向というより、保守的・体制的というかVOCAのシステムがメタボリックになっている感じなんだろうか。
山本さんの最大最厚作品は気合い十分で迫力あってここ最近のなかでは代表作品だろう。
絵画の大きさという難しさがシステム化と、手工業的な技術に裏打ちされている感じ。
これだけ色を使うことに対してバリエーションがあるのはうらやましい。
東京都現代美術館へ。
青田真也作品が好み。(単純にプラスチックをヤスリがけしているからか 笑)
パラモデル、金氏徹平、その前だとヤノベケンジの作品に共通する部分を何となく考える。
森美術館がこの日に限って17時クローズ。(いつもは22時まで)
とりあえず浅草をぶらぶら。モツ煮とビールで孤独のグルメごっこ。
<2日目>
『アンディ・ウォーホル展:永遠の15分』
森美術館
『ラファエル前派展』
森アーツセンターギャラリー
『イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる』
『中村一美展』
国立新美術館
東京行きの決定打、ウォーホル作品群。
デザイナー時代からの再現への固執、線と面の関係性が軽やかに入れ替わる流れ、作品の中にある人間臭さ、メインストリームにのしあがること、世俗とコンテクストに自身を寄せていく意味など、語りたいことや考えたいことがたくさんだ。でも観賞後は身体をスッと通り抜けていくような喉越しが心地よい。
これだけ表面的で軽やかで多弁でセンスがあって、謎を楽しめる作家はいないと思う。
もちろん、そんな軽さだけではなく、斜に構え過ぎてこちらが混乱してしまうような現代美術の面白さに、何かを突きつけられる想いだ。
ラファエル前派は、ミレイの『オフィーリア』(1851-52)はもちろん一級品のオーラがムンムンでよかったのだが、その近くに展示していた『マリアナ』(1851-52)にキュンときた。
ステンドグラス部分が、透明度の高い絵具で描かれていて、それがまたいい。
全体的に、細密な自然描写とか日本人好みって感じがする。
逆説なんだけど、フラットな下地と自然描写が水彩画や日本画を連想させるからだろうか。
国立新美の中村一美展はゲップがでるほど絵画ラッシュ。
あのジャムみたいな絵の具ってなんのメディウム使っているんだろう…
巨人が絵の具を繊細に塗りたくっているようにも見える…
そんな近景遠景を行き来しながら絵画空間を堪能する。
絵画を突きつめればその分、言語化すること、批評することの難しさを感じるなあ。
しかし国立新美は本当にスケールの大きい絵画作品の展示に向いている空間なんだなー。
あと単純に思った(確認した)のは、手慰みな自己満足・自己陶酔なゲンダイビジュツな作品をちまちま作っていても、それは目先の仕事でしかない。もっと大きくて長くて苦しくて、わけのかからないものに賭けることでしか得られないことっていうのは確実にある。
ここまで行かなくとも、絵画をやっていって50歳とか60歳で美術館で個展をやるとことを考えたら、今のうちに大きな代表作を複数作っておかなきゃ意味ないんだな。
うーん、うーんとうなりながら帰ろうとしたら、成田空港への列車が運休状態。
乗り換えアプリでさくさく検索し問題なく帰宅。そうiphoneならね。
by takuji0808
| 2014-04-05 23:55
| 展覧会感想