日々の制作と生活を、思いつくままに描く。札幌在住、美術家。西田卓司のブログ。


by takuji0808

カテゴリ:展覧会感想( 38 )

絵画の現在地 感想

お久しぶりですが、生きていますし元気です。

もう始まっていますが唐突に出品している展示に関しての宣伝、感想です。

備忘録のようなもので、言葉も乱雑で、申し訳ありません。

ただし、展示自体は非常に面白いし見応えもあるので、是非ご高覧いただければとおもいます。


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500m美術館vol.27「絵画の現在地」

会期 : 2018年7月14日(土)〜2018年10月3日(水)


■開催概要

会期|2018年7月14日(土)~2018年10月3日(水)

時間|7:30~22:00

会場|札幌大通地下ギャラリー500m美術館

住所|札幌市中央区大通西1丁目〜大通東2丁目
(地下鉄大通駅と地下鉄東西線バスセンター前駅間の地下コンコース内)

企画担当|高橋喜代史(美術家/一般社団法人PROJECTA)

企画協力|鈴木悠哉(美術家)、山本雄基(画家)

協力|児玉画廊、さっぽろ天神山アートスタジオ、寝床AIR、東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)

主催|札幌市


500m 美術館では初となる絵画の展覧会「絵画の現在地」を開催します。 色彩や明度、形や造形、空間、構図、物質性、筆跡や痕跡、テーマなど絵画が持つ魅力や見所は多々ありますが、 インターネットや映像ストリーミングにおいて画像や映像などのイメージが溢れる現代社会のなかで、 絵画を描き続ける画家たちの思考や想い、根源的な表現欲求にふれることができないかと考えました。 本展は絵画でしか成立しない複雑な平面空間を思考し、多彩な画面構築に取り組む画家たちの作品を一堂に展示することで、 絵画が持っているダイナミズムや美しさ、奥深さや幅広さをより一層身近に感じられる展覧会となります。


出品作家

荻野僚介

笠見康大

佐藤克久

小林麻美

武田浩志

中田有美

西田卓司

野原万里絵

久野志乃

 

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以下感想です。


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◆荻野僚介


平坦に消去された筆触や色面の強さが特徴だが、じっと作品のエッジを観察していると、シンプルでミニマムなだけではないことに気付く。それらの要素だけで絵画を成立させることがいかに難しいのかが分かってくる。

結晶形態という現象を思い出す。鉱物の原子配列が外形に表れているものであり、その形は同定の手がかりになる。永い時間の中で純粋化したときに、内存する本質が外形に表出していく。

結果として現れ、結晶化された作品が美しさを持ち得ているのは、その過程だけではなく根底の作者の思いが結実しているからだ。そのピュアで愚直な作品に対する姿勢を感じた瞬間に、画家はある種の救いを得るだろう。



◆笠見康大


近い作家として(よりドロドロしている違いはあるけれど)ミロとか杉戸洋さんを思い出した。作品として良いのは分かるがロマンチックだったりポエティックな表現にピンとこない部分があって、それは自分の個人的な嗜好だろうと思う。

多分、ほかの人も同じようにわかりにくい要素があるとしたら、そのあたりのセンチメンタルな日記か私信のような要素が、作品の中で大切な要素としてあって、そしてその感情的な個人的な部分は他者から読み解きにくい、共感しづらいものだからだろう。それが必要かどうかは別だが。

近作で、マスキングしたような色面を画面の中で大きく対比させているのは、地と図の関係とか、遠近法とか、絵の中に近いものと遠いものが一緒にあることでその遠近感が錯綜することをやっているのだと思う。以前の、画面の中に点をボカしている仕事も、そう考えると共通するものを感じる。



◆佐藤克久


アーティストは作品を作る上で、自分のルールを持っていると思う。

厳守すべきものもあれば、改訂していくものもある。そのルール自体を組み替えることもある。それは方法論や作風と言い換えてもいい。

何を描くか、どのように描くかではなく、何を選ぶか、選ばないか。

絵を描くということも人生のなかでひとつの選択肢であり、すべて選択の連続だ。

そのなかで、自分たちが持っているルールの穴をバグのように軽やかに貫通していく。

絵画とは狭い世界のなかでのある種のゲーム(仕組み)のようなもので、どこか揶揄している雰囲気を感じるのは、穿った見方だろうか。



◆小林麻美


作者や絵画という枠組みのなかにいる登場人物たち、絵画を見ているわれわれ鑑賞者など、絵画という視覚メディアに関係する登場人物の視点が何かを透過したり、入れ替わり、反射され、交錯していく。

第四の壁という演劇用語がある。舞台上に実在する左右と奥側の壁に対して、観客側の“4つ目の壁”を指している。実在しない壁の向こう側(舞台上)は劇が演じられる「虚構の世界」で、観客側は私たちが生活する世界と地続きな「現実の世界」だ。そこから「虚構と現実を隔てる壁」という意味を持っている

映画や演劇では「観客に向かって語りかける」行為によってその壁を破るのがポピュラーなのだが、小林作品において「絵画という虚構」を通して『今あなたが見ているのは、私(作家)が見た世界なのか?現実の絵画なのか?そもそもあなたは普段何を見ているのか?』と問いかけてくる。

作品は見るという行為がどれだけ豊かであり、我々が普段見ているようで何も見ていないのかを揺さぶってくる。(メタフィクションはフィクションの中に上位の立場にある現実を引き込むことで、虚構であることをより強調させる力を持っている)

第四の壁を破るということは、「これはうそですよ」という意味の一種のユーモアであり皮肉だ。




◆武田浩志


ポートレートシリーズに関して。

絵画空間を作家の「擬似的な遊び場」として想定する。ゲームマスターである作家のポートレートがアバターだとするとその二次的な身体は抜け殻であり、本人はログオフしている状態である。そうなるとイメージとしては、ゲームの攻略本にあるようなキャラクターや装備、アイテムの一覧表のように見えてくる。

特に今回のように並べてプリントアウトして表示されることで作家の収集欲や、魔改造していくマッドな気質が強調されているようで面白い。

ほかの絵画作品との共通性を見出すとしたら、(レイヤー構造であること、透明層があることはもちろんだが)iPadで描かれた線が2次的な身体あるいは身体の痕跡となることだろう。

タブレットやPCの操作、デザインの仕事、作品制作、絵を描くという行為が作家の中では等価で、横断して影響しあっていて、そういう意味では素直と言えるかもしれない。



◆中田有美


映像史や絵画史がテクノロジーの歴史や社会の変化と密接な関係は周知の事実である。

中田有美のブリコラージュされたデジタルイメージは、プリントアウトされた壁面と等身大の絵画作品が同時に展示されている。その比較によって虚実の関係性や身体の距離感、現代の消費社会、解像度や物質性、デジタル社会での皮膚感覚が浮き彫りになる。



◆西田卓司


自分で自分を評価、批評できない。

とりあえず今回考えていたことを書くと

自分はコラージュ作家ではないか、ということだ。

既成のもの、身近にあるものを寄せ集めて、形にするということを素直に出した感じがあります。

あとは、DIY感というか、チープな感じになるのは強みでもあり弱みでもあるので、その面白さをどう出していけばいいのかってことを考えていた気がします。

展示されていて、自分が画家っぽくなれないコンプレックスみたいなものも何となく感じて、そういう中途半端さも上手く作品に落とし込めたらいいなと思います。



◆野原万里絵


身体(=絵を描くという行為)の反復と拡張。

その残像と痕跡が空間を覆い尽くしていく。

現代のネット社会や情報過多、VR技術によって融解する身体と世界のボーダーをシンプルな所作でなぞり続けている印象。

出来上がった境界線は展示することで壁のように立ちあがるが、そこに見えてくるのは、世界を区切る抑圧され規制されたものではなく、われわれを解き放ってくれる大きな窓のような、開放された世界だ。



◆久野志乃


どこかに続いているような風景、誰かの記憶のなかの、どこかにある風景。

現実的でありながら、あいまいで、架空な物語はむしろ普遍性を帯びていく。

近作の安定した構図が、よりその傾向を高めている印象がある。

一見絵本のような世界観にも見えるが、どちらかというとSF短編小説が近いもかもしれない。




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by takuji0808 | 2018-08-19 00:40 | 展覧会感想

東京(3/25〜26)

東京に行ってきました。

バニラエアにしましたが、CAの制服がサンダーバードみたいだなーとおもって見ていました。
おばかな感想ですね。今回はずっとこんな感じです。

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<1日目>
『VOCA 2014 現代美術の展望―新しい平面の作家たち』
 上野の森美術館
『MOTアニュアル2014 フラグメント―未完のはじまり』
『驚くべきリアル:スペイン、ラテンアメリカの現代アート―MUSACコレクション』

 東京都現代美術館
『金氏徹平 フライド幽霊とボイルド空想』 
シュウゴアーツ
『武田陽介 Stay Gold』
 タカ・イシイギャラリー

成田空港着のため、そのまま上野の『VOCA 2014』へ。
ふーむ。入賞作品はイラストっぽいというか、ピンとこないなあ。
作家別の作品のレベルとか傾向というより、保守的・体制的というかVOCAのシステムがメタボリックになっている感じなんだろうか。
山本さんの最大最厚作品は気合い十分で迫力あってここ最近のなかでは代表作品だろう。
絵画の大きさという難しさがシステム化と、手工業的な技術に裏打ちされている感じ。
これだけ色を使うことに対してバリエーションがあるのはうらやましい。

東京都現代美術館へ。
青田真也作品が好み。(単純にプラスチックをヤスリがけしているからか 笑)
パラモデル、金氏徹平、その前だとヤノベケンジの作品に共通する部分を何となく考える。
森美術館がこの日に限って17時クローズ。(いつもは22時まで)
とりあえず浅草をぶらぶら。モツ煮とビールで孤独のグルメごっこ。

<2日目>
『アンディ・ウォーホル展:永遠の15分』

 森美術館
『ラファエル前派展』
 森アーツセンターギャラリー
『イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる』
『中村一美展』

 国立新美術館

東京行きの決定打、ウォーホル作品群。
デザイナー時代からの再現への固執、線と面の関係性が軽やかに入れ替わる流れ、作品の中にある人間臭さ、メインストリームにのしあがること、世俗とコンテクストに自身を寄せていく意味など、語りたいことや考えたいことがたくさんだ。でも観賞後は身体をスッと通り抜けていくような喉越しが心地よい。
これだけ表面的で軽やかで多弁でセンスがあって、謎を楽しめる作家はいないと思う。
もちろん、そんな軽さだけではなく、斜に構え過ぎてこちらが混乱してしまうような現代美術の面白さに、何かを突きつけられる想いだ。

ラファエル前派は、ミレイの『オフィーリア』(1851-52)はもちろん一級品のオーラがムンムンでよかったのだが、その近くに展示していた『マリアナ』(1851-52)にキュンときた。
ステンドグラス部分が、透明度の高い絵具で描かれていて、それがまたいい。
全体的に、細密な自然描写とか日本人好みって感じがする。
逆説なんだけど、フラットな下地と自然描写が水彩画や日本画を連想させるからだろうか。

国立新美の中村一美展はゲップがでるほど絵画ラッシュ。

あのジャムみたいな絵の具ってなんのメディウム使っているんだろう…
巨人が絵の具を繊細に塗りたくっているようにも見える…
そんな近景遠景を行き来しながら絵画空間を堪能する。

絵画を突きつめればその分、言語化すること、批評することの難しさを感じるなあ。
しかし国立新美は本当にスケールの大きい絵画作品の展示に向いている空間なんだなー。

あと単純に思った(確認した)のは、手慰みな自己満足・自己陶酔なゲンダイビジュツな作品をちまちま作っていても、それは目先の仕事でしかない。もっと大きくて長くて苦しくて、わけのかからないものに賭けることでしか得られないことっていうのは確実にある。
ここまで行かなくとも、絵画をやっていって50歳とか60歳で美術館で個展をやるとことを考えたら、今のうちに大きな代表作を複数作っておかなきゃ意味ないんだな。

うーん、うーんとうなりながら帰ろうとしたら、成田空港への列車が運休状態。
乗り換えアプリでさくさく検索し問題なく帰宅。そうiphoneならね。

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by takuji0808 | 2014-04-05 23:55 | 展覧会感想
若さ故の衝動や、分かりやすい一発芸のような作風を作家に求めてはいけないーーー…

なぜなら作家は制作を続けていくために「若さゆえの甘え」や「居心地の良い場所」を超えて、作品を進化させたり、通すべき筋(=一生のテーマ)を模索し、世間の求めるものを迎合せず、天の邪鬼に生きていくことで、アーティストたるべき道を獲得していくのだから。

石倉さんの作品を「若い女の子の悩み」や「ネガティブな現代人」という形にはめ込み、その文脈で作品を読み解くことは、作品の前で思考停止しているのと同じことだ。

鑑賞者が共感するべきは、「斜に構えているが勇気の無さに嘆いている現状そのもの」であって、それが一番のリアリティだと自分は感じる。

それは言い換えると、インディーズ(あるいはローカルなコミュニティ)でしか通用しない荒削りを超えて、メジャーな文脈に通用する分かりやすさと強さをどう獲得していくかということだろう。そして作家もそれを当然わかっていて、次のフェーズに移行しようと藻掻いている痕跡が見え隠れする。

絵画作品では、以前近代美術館で行われた「札幌ビエンナーレ・プレ企画2011 美術館が消える9日間」で展示された「ポジティブ君」を再度展示していたのだが、細部の描き込みを加えたことによって余計なノイズな減り、以前よりスッとイメージが入ってきた。ここら辺の誠実さは、作家を信用することができる大切な要素だ。

コンセプチュアルな小さめの作品は、身近なリアルをユーモラスな視点で読み替える脱力系の作品だけど、そこかしらに毒が仕込んであるような印象だった。

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石倉 美萌菜 個展
「さぁ この先どうしよっか」

会期:10.6.sat ー 10.27.sat 日曜祝日休み
会場:CAI02
住所:札幌市中央区大通西5丁目昭和ビルB2
(地下鉄大通駅西1番出口直結/昭和ビルB1の飲食街一番南側の階段、自動扉を出てB2への階段があります。そこからしかB2へは降りる事ができません)
TEL:011-802-6438
主催:CAI現代芸術研究所/CAI開廊5周年企画 第2弾
http://www.cai-net.jp/
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by takuji0808 | 2012-10-28 23:38 | 展覧会感想

こじかとエヌ3

仕事終わりに大学の先輩や後輩の共同アトリエのオープニング兼トークに向かう。
札幌駅から歩いて、途中で武田さんの個展へ。

芸森でやっている「パラレルワールド冒険鐔」の作品に比べると、実験色の強い作品が並ぶ。
とくにエアブラシを多用した黒の効果が印象的で、悪い言い方・見方では「汚れ」という風にもとれる作品だった。そのギリギリの危うい美しさは、武田さんの推し色であるパステルカラーな蛍光色にフィットする黒を模索しているような印象がある。

立体は、寄せ集めのようなジャンクさから、構成の上手さと木材の選択などを経て、ある種の品位さえ獲得しているような佇まいになってきていて面白い。コラージュ的でありながら、コラージュ特有の泥臭さが無い。

考えてみれば、武田さんの平面作品も、同じように「ダサかっこいい」を起点として、超絶技巧を駆使して違う次元に辿り着いている。ポートレートのシリーズと、神殿の集合体というのも、表現としてニアイコールな関係であり、その相違も面白い。そう考えると、武田さんの興味はとことん「自分」と「技術」の2輪なんだろうな。


なんてことを考えつつ早足で会場へ。


「N3」というペインタリーな作家が集まったアトリエへ。
油絵の具臭くて、まさに「油研」っぽい匂いでノスタルジックな気持ちに。

しかしこんなに汚して大丈夫だべか…と勝手に心配。

アートツーリストの東方さんと、太田さんのドクメンタ感想は途中から聞いた形だった。
たのしそーだなあ…(と、おばかな感想)
駆け足で全部紹介できたこと自体、すごいかもしれません。

久しぶりに人と話した感じで、ほっとして、お酒の力も相まって冷たい風の中ホカホカ帰宅した。

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武田浩志 個展「Utopia MoMo - Iro 7」

[日程] 2012.10.13(土) - 11.3(土)
[Reception Party] 2012.10.23(TUE) 19:00 start (作家誕生日)
[場所]salon cojica(札幌市中央区北3条西2丁目中西ビル1階)
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by takuji0808 | 2012-10-22 23:27 | 展覧会感想
仕事の合間に芸術の森で行われている「パラレルワールド冒険譚」へ。

年に1度札幌の現代美術作家を集めて行われる企画展という意味合いが強いので、展示のテーマはとってつけたようなものであるので、そこに関しては言及しない。個々の作家や作品は見応えがあり、それを楽しむ展覧会と思えばいいだろう。

ちょうど小学生100人くらいの鑑賞とぶつかって、せわしない中での鑑賞となった。

紅露はるかさんの作品は、4プラで定期的な発表をしているという強みか、単純な絵の美しさや完成度がグンと増していた。

浅井憲一さんのキューブキャラクター作品が、今回小学生が地べたに座って作品の感想なんかを書いている瞬間に立ち会っているのを見ると、その状況も含めて面白かった。

ほかにも気になる作品はたくさんあり、見応えとトリップ感の強い展覧会だった。

しかし世界、ワールドという割には映像作家がいなかったり、「浮く」「構造物」「コラージュ生物」くらいの画一的なファンタジーの世界観を見せつけられても、現実逃避か日常の慰みにしかならなくて、他のジャンルの方がよっぽど世界と自分、ファンタジーな世界を描いているような気もする。もっと言えば、単に可視化することに終始していて、新しい想像力が感じられない気もする。しかしこの意見はあくまでそういう世界も描けない自分のヤッカミかもしれません。(笑)

まあ、ファンタジーな世界観は奇抜すぎると共感できないし、エログロになっちゃうからこのくらいが口当たりがよいのかもしれないなあ。
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by takuji0808 | 2012-10-21 00:09 | 展覧会感想
西田卓司個展「ワーキングループ」無事終了しました。
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展示を見てくれた人、応援してくれた人、たくさんの人にお礼を申し上げます。

作品に関しては、また今後どう展開していけばいいのかじっくり自分の足下を見据えて頑張ります。
(それの繰り返しでしか、恩や義理を返せません。)

結構でかい作品を作る展覧会が続いており、今回のように小さめの作品を作ること自体、久しぶりで、楽しかったです。楽しいは、楽しいですが、やはり大きな作品をじっくり作るのも楽しいので、またどこかでドカーンとやりたい欲求も出てきました。

展示中に働いている仕事も変わったりして、また制作と向き合わなくては行けない時期になりました。辛い時期です。しかしそれを超えて、またストイックに、自分のやりたいことをやるワガママな気持ちを大切にしていきたいと思っています。

ではまた。
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by takuji0808 | 2012-09-29 18:00 | 展覧会感想
500m美術館「日常の冒険」が無事終了しました。

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何の反応もありませんが(そしてそれはいつものことですが)おそらく、普段美術館に行かないような人も、行くような人も、多くの人に自分の作品を見てもらうことが出来ました。

お話を頂いたこと、展示や片付けを手伝ってくれたこと、観ていただいたこと、ただただ多謝、多謝でございます。本当にありがとうございます。

久しぶりのインスタレーションは、課題を残しつつも、また新しい展開を考えることが出来るものになったと思います。今後機会を作り、あるいは機会があれば、また違う形で発展させていければとおもいます。乞うご期待。

(反省点は多々あるのですが言い出すと言い訳っぽい文章になってしまうので割愛…)

平面作品は「絵画の場合ー最終章ー」で展示したものと、それ以前に制作し発表していなかったもの、そして新作を展示しました。こちらの方はやりたいことがはっきりしており、様々なバリエーションがあることも相まって非情に分かりやすいスッキリした展示になったと思います。


さて、いくつか思ったことを。

1 作品の説明
作品の説明、作家の略歴などが記載されたキャプションがあるのですが、その作家の説明文は作家本人が書くのはやめた方がいいのでは、と思います。もちろん、作家が自分の作品を説明すること自体を否定する訳ではありません。しかし、作家が自分の作品を語るとき、ポエティックな文章になったり、自分や美術コミュニティにしか分からない文脈や言葉を使ってしまうことが多々あります。あのような場所で作品を説明するためには、全ての作品を通し展覧会のコンセプトに即して、非情に分かりやすい言葉を用いなければいけないわけですので。

まあ、「作家の言葉」にプラスして、作品の分かりやすい説明、作品の見方なんかのキャプションをつける、という手もありますけどね。

2 作品の公共性・公共の作品
搬入中、子供が平面作品をベターっと触って歩いていたりしていました。まあ子供は馬鹿だから仕方ないとしても、それを何の注意をしない親はもっと馬鹿。対策として「作品にはお手を触れないでください」キャプションをつけて、まあ、よし、と思っていたら搬出のとき、こんなものを見つけました。

タバコの灰を押し付けた跡が。
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ついで、インスタレーションの中に、紙パックのゴミが。
(上部の隙間から投げ入れたらしい…)
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無意識の悪意が、ただただ悲しい。
公共性を得るということは同時に、その中の数少ない悪意を引き受けることでもある。
それは「市民」とくくることの歪さであり、美術を観るリテラシー・マナーの無さでもある。(美術というより、公共の場でのマナーの無さもある。)

あるいは俺の作品は灰皿か、ゴミ箱ってことだ。ある人たちにとっては、電柱と変わらないのだ。
アート・文化うんぬん言うのはかまわないが、実害を被るのは作家なのだから、こういうこともあるってことを声を大にして言うべきである。
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by takuji0808 | 2012-08-01 01:27 | 展覧会感想

アルタイルの庭・感想

JRタワー・アートプラネッツ2012 楽しい現代美術入門 アルタイルの庭
2012年6月30日(土)~7月22日(日) プラニスホール

立体駐車場のように貧乏性で、詰め込んだ展示。
例えば藤沢レオさんの作品も、もっと広い空間で作品と壁と平行にせずに見せた方がずっと良い。
5人くらい減らして、もっとすっきり魅せてほしい。その方がアーティストフィーも空間も充実するでしょ。
単純に、関係がないなら彫刻と絵画を同じ空間に置くなよ、と思う。

身内褒めではないが、笠見さんの作品が一番良かった。

  *

考えてしまうのは、デザイン的な仕事の受け方はどうなんだろうか、とういうこと。
まあキュレーションする人がいないので、作家が勝手に考えて、勝手にあの場所や展覧会のコンセプト(星とか宇宙とか)にすり寄って、結果的にそうなってしまうというのが事実なんだろうが… 
受ける仕事の内容、意味とは別に、作家は作家の流れで出すべき作品の意味・リアリティを上乗せしていかないとピンとこない。「俺はこれしか出来ませんから」でも良いのに、下手にニーズに応えてもエンターテイメント性は無いよね。

まあ自分の仕事を誠実にやる、ということが、どんなに難しいか、ってことだよなあ。
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by takuji0808 | 2012-07-22 14:55 | 展覧会感想
北海道教育大学岩見沢校 芸術課程美術コース学生自主作品展「七月展」
2012年7月11日(水)~7月15日(日)札幌市民ギャラリー

一部 Twitter上で話題になっていたが、南くんの8mm映写機を使ったサウンドインスタレーションが抜群に良かった。映像と音のリンクをアナログな方法で、構造的に、かつ過剰に展開していた。
(サウンドインスタレーションというか、音を使った作品ってちゃっちいものも多いよね。)

映写機4台をスピーカーやミキサーにつないで、そのうち2台はループで映像を流し、
もう2台はただモーターを回して、爆音のノイズと映像がリンクするような仕掛けだったと思う。

やっていること、そのアイデア自体はおそらくそんなに新しいことではない。
(80年代にドイツで観たことあるよ、とか言われそうな感じと言うか。知らないけど)
けど、それをいまここで観て、感じるとまた違う体験があるんだろうなーという風にまで感じさせる、ロマンチックさも雄弁さもある作品だった。

8mmという、身体性をもった映像メディウムというのもキーポイントで、音も鼓動とか血の流れる音のように聞こえたりして、凄い良い部分を押さえている感じがした。そういう機械萌えな部分も良い。(ベタ褒め)

  *

卒業したら、実は市民ギャラリーを借りることなんてほぼ無いんだから、もっとどでかく使って作るくらいの気概の人はいないものかね。あんな天井高いところ札幌にはまず無いし、学生のうちに大きい作品を、ってことは俺も在学中良く言われたなあ。それはアトリエあるなしとか、経験とか、色んな理由があるからなんだけどさ。

出品者のうち何人が制作を続けるんだろう、なんてことを考えていたらどんどん陰鬱な気持ちに。だから余計、奥の角で爆音で、一人アートしている南君がロマンチックに見えたのかもしれないな。
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by takuji0808 | 2012-07-22 14:52 | 展覧会感想

立体力・感想

「立体力 仏像から人形、フィギュアまで」
2012年6月2日 ~2012年7月8日 札幌芸術の森美術館

仕事の合間に会期ぎりぎりで駆け込む。
北海道にこんな仏像や作家がいたのか!という驚き。
立体を魅せるとはどういうことかを考えるには、必見の展覧会。

個人的には、やっぱり砂澤ビッキがいいなあ。

空間を装飾的に構成するのではなく、作品が空間を掌握していくこととか、立体は立体のエネルギーとか強度があるということを再認識する。

数千円で彫刻(フィギュア)が買える時代か、そりゃ具象彫刻で生計を立てれる人なんて出ないわな。中国の工場に発注して、同人誌に付録としてオリジナルフィギュアをつける人がいるんだってさ、もう美術負けてるかも。

と思いつつも中庭に展示されていたダム・ダン・ライさんの彫刻が良かった。
春香山の作品も結構好きだったけど、中庭という空間に対してちゃんと応えていて、よりスケールを感じた。

会期中に、付近で熊が出没したらしく、野外彫刻は観覧できない状態に。
熊も見に来る現代美術館!
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by takuji0808 | 2012-07-22 14:43 | 展覧会感想